前回の真田丸では、徳川方が打ち込んだ砲弾が大坂城の天守閣の屋根を貫き、淀の侍女が屋根のしゃちほこなど諸々の下敷きになってしまいました。(天守の屋根は構造上脆弱で、当時の大砲でも貫通するらしいです。[※3])連日連夜の砲撃で心身ともに疲労困憊だった豊臣方でしたが、徳川方もまた兵糧不足という事情を抱えていました。織田有楽斎を通じて和平交渉が続けられていましたが、運命の砲弾により、淀は秀頼や五人衆の反対意見をはねつけ、和睦に応じる決定を下します。[※2]
徳川主導の和睦交渉
和睦交渉は徳川方の京極忠高の陣で行われ、徳川方からは本田正純、阿茶局、豊臣方からは淀の妹である常高院が参加し協議が進められました。両者は12月20日に誓書を交換し、同日徳川方が砲撃を停止します。
和睦の条件
- 本丸を残して二の丸、三の丸を破却
- 淀を人質としない
- 大野治長、織田有楽斎が人質を出す
- 大坂城内の兵は処罰しない
堀の埋め立ての作業分担
- 徳川:三の丸と惣堀
- 豊臣:二の丸
それが和睦の条件とはいえ、自分の城の二の丸と堀を自分で壊せって言われても、やる気でないですよね〜。
城の破却工事は徳川におまかせください!
惣堀、三の丸、二の丸とサクッと書くと、そんだけかーと思うかもしれませんが、超巨大な大坂城の惣構えですから、工事には相当時間がかかるはずでした。ところが、徳川方は12月23日に工事を開始し、25日にはほぼ完了という脅威のスピードで終わらせてしまいました。最近の発掘調査では大坂城の大手門前の巨大な馬出の堀から食器の残骸とか、武将の首とか、老女の遺体とか、猫の死骸とか、ありえないものを埋め立ての材料に使っていたことが判明しました。とりあえず、なんでもかんでも堀に入れて埋め立てたようです。(発掘調査が進んでいない真田丸の堀とかも大量の戦死者が埋まっているんでしょうか、、、いや、きっとそうに違いない!)そして、豊臣担当であった、二の丸の破却もお手伝いしますよ!と工事のオファーをして、これも翌年の1月24日までに終了させてしまいます。[※2]
大坂城は南側の守りを全て解かれ、南側だけ裸城つまり半裸となってしまいます。
出典
- ※1.大坂の陣 – Wikipedia
- ※2.千田嘉博『真田信繁「勝利」への条件』
- ※3.桐野作人『火縄銃・大筒・騎馬・鉄甲船の威力』
- 「大坂の陣」で徳川方が埋めた堀を発掘する