NHK大河「真田丸ー第38話 昌幸」蟄居先の九度山で余生を楽しめばいいのに、気落ちしてウツっぽかった昌幸

関ヶ原の前と後では大きく変わった日本の勢力図

関ヶ原前の勢力図 領地関ヶ原後の勢力図 領地
図の青いところが徳川系列の所領になります。関ヶ原後にかなり領土を広げましたね。

38話では関ヶ原の合戦から約10年後の1611年まで、一気に時間が進みます。この間、家康は征夷大将軍となり、その2年後、自身は将軍職を辞任し嫡男の秀忠を将軍とします。秀忠は江戸城で、家康は大御所として駿府城で二元政治体制を敷きます。天下統一に王手をかけた家康ですが、後の世の火種になりかねない秀頼をどう潰すか腐心し、あの手この手で豊臣家に揺さぶりをかけていきます。大きな騒乱は起きませんでしたが、静かな戦が繰り広げられていた時期だと言えますね。

殿の生活は借金まみれ

そして、1611年には我らが殿、真田昌幸がお亡くなりになります。昌幸は九度山では殿様暮らしが抜けず、紀伊の領主浅野幸長から年間50石が支給されていましたが全然足りず、信之からの仕送で凌いでいたようです。浪費だけではなく、付き従ってきた家臣とその家族も養わなければならないので、その負担もかなり重かったと思われます。昌幸は恩赦を期待していましたが、その夢は果たされず失意のうちに亡くなります。信之は父親の葬儀を執り行えるよう幕府に許可を願い出ましたが許されませんでした。息子の信繁はここ、九度山でたくさんの子宝に恵まれます。信濃で生まれた長女の「おすえ」ちゃん以外はみんな九度山生まれということになります。

高梨内記の娘(きり)の子

次女「於市(いち)」
三女「阿梅(おうめ)」

大谷吉継の娘(春)の子

四女「あくり」
長男「大助」
六女「阿昌蒲(おしょうぶ)」
七女「おかね」
次男「大八」

豊臣秀次の娘の子

五女「なほ」
三男「左次郎」

農家の娘の子

八女「名前不明」
九女「名前不明」

農家の娘の子供の扱い雑、、、
信濃時代と大阪時代の子どもひとりなのに、九度山の10年でものすごい数の子どもが生まれていますね。他にすること無かったからかな?

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