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南北朝時代に井伊氏の南を守った鴨江城
利権がからむ戒壇(かいだん)の設置奈良時代から平安時代は、正式に(国家資格を持つ)僧となるには戒壇で授戒する必要がありました。東大寺や国分寺などの官立寺院が僧を管理していましたが、822年以降官立
利権がからむ戒壇(かいだん)の設置奈良時代から平安時代は、正式に(国家資格を持つ)僧となるには戒壇で授戒する必要がありました。東大寺や国分寺などの官立寺院が僧を管理していましたが、822年以降官立
白塗り、お歯黒、蹴鞠大名だけど実は骨太大名の今川義元義元は家督相続争いを制し今川家の当主となります。抗争状態にあった武田氏と同盟を結んだことで、武田氏との抗争がひと段落したかと思ったら、それが盟友
家康の出鼻をくじく一向一揆井伊家の命運を握る、家康の動向について少し触れてみましょう。1560年の桶狭間の合戦以後、元康から家康に名を改め、今川から独立し織田信長と清洲同盟を締結した徳川家康は、当
桶狭間の後、松平元康 (徳川家康)は今川氏からしれっと独立し、旧領三河の平定に乗り出し、ついでに織田氏と同盟を結びます。井伊氏の所領がある遠江の強大な支配者であった今川氏は、瞬く間に力を失い、
三河と尾張の歴史をさらっと尾張では元々の支配者であった守護大名斯波氏の家臣であった織田弾正忠家が力を持ち始め、織田信定、織田信秀の二代に渡り領土を広げ三河方面へ侵攻していました。三河では、西三河の
千頭峯城はGoogle Mapに入力すると表示されるので、比較的たどり着きやすいです。摩訶耶寺から登山道が伸びていますが、車の方はもう少し山を登って、千頭峯トンネル手前のパーキングまで行くと、すぐ
三岳城は井伊氏の本城にあたる城で、南北朝時代に井伊道政によって築かれたと伝わります。本城を囲み北の支城天山城(あてやまじょう)、東の支城大平城(おいだいらじょう)、西の支城千頭峯城(せんとうが
1010年 初代共保が井戸より誕生1010年というと平安時代真っ只中、翌年の1011年には紫式部の源氏物語が完成した年というとイメージがつきやすいでしょうか?この頃に井戸から生まれたという伝説
2017年の大河ドラマの舞台となる井伊谷城は、静岡県浜松市にある中世の山城です。南北朝時代からの遠江西部の有力国人であった井伊氏の居城で、南麓には井伊氏館(井伊城)がありました。しかし、南麓一
徳川家康のお城として有名な浜松城ですが、その歴史は室町時代まで遡ります。曳馬城時代の浜松城浜松城の前身である曳馬城(ひくまじょう)は、室町時代末期ー戦国時代の初めの築城とされています。
由緒正しい井伊家の家系図を作ったよ!共保(ともやす)ー共家(ともいえ)ー共直(ともなお)ー惟直(これなお)ー道直(みちなお)ー盛直(もりなお)ー良直(よしなお)ー彌直(みつなお)ー泰直(やすな