NHK大河「真田丸ー第45話 完封」冬の陣いよいよ開戦!豊臣の戦略は水路の死守!

前回の真田丸はオープニングがドラマの最後で衝撃的でしたね!今回の真田丸からが本編のスタートという演出なのでしょうか。大坂冬の陣がいよいよ開戦します!1614年11月15日に家康が二条城を出発し、大坂城南西にあたる茶臼山に陣を置きます。息子の秀忠は大坂城南東の岡山に布陣します。各地で小競り合いがありましたが本格的な戦闘は木津川の砦からスタートします。

豊臣方の城外戦はあっけなく終了

豊臣方は、兵士、物資の搬入路の確保のため、水路を死守しなければなりませんでした。要所に信頼のおける武将を布陣し、徳川軍を待ち受けます。
大坂冬の陣緒戦

  1. 木津川の砦は、大坂城と海を繋ぐ要の砦でした。歴戦の勇者であった明石全登(あかしてるずみ)が800の兵を持って守っていました。11月19日ここを徳川方の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)が家康の命令を無視して抜け駆けで攻撃します。この時たまたま、明石全登が大坂城へ行って留守にしていて、部隊はパニックを起こし壊滅。大坂城が絶対死守すべき砦はあっけなく陥落します。
  2. 26日には大野治長(おおのはるなが)、治房(はるふさ)兄弟の兵が守る、鴫野(しぎの)の砦と今福の砦が徳川方の上杉景勝、佐竹義宣らの攻撃を受けて陥落。
  3. 28日には、船庫を守る上福島の砦、下福島の砦が徳川方の九鬼守隆(くきもりたか)に夜襲され陥落、船庫も奪われてしまいます。
  4. 29日には木津川の中洲にある博労淵の砦が徳川方の石川忠総(いしかわただふさ)、蜂須賀至鎮、池田忠雄(いけだただかつ)らに攻撃され陥落します。ここを守っているはずだった薄田兼相(すすきだかねすけ)は秀吉の馬廻衆だった人物ですが、徳川の攻撃時に遊女と遊んでいて留守でした。指揮官のいない部隊はほぼ無抵抗で降伏します。
  5. 豊臣方の最後の出城となった真田幸村が守る真田丸での戦いは、真田の挑発により12月3日に始まります。

30日には豊臣軍は真田丸を除く残りの砦を放棄、大坂城内に撤退します。開戦からたった4日で豊臣の水軍は壊滅、水路を絶たれてしまいます。

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