前回の真田丸では、うざキャラだったきりちゃんが、おばさんへと成長し、信繁に説教する名シーンが印象的でしたね。信繁目線でストーリーが進むため、一般的な歴史の重要ポイントをさらっとスルーしてきた真田丸ですが、見事にポイント押さえておさらいしてくれました。小田原討伐で黒田官兵衛が影も形も登場しなかったのも衝撃的でしたね。きりちゃんの「なんちゃら官兵衛さま」で仕上げて来るあたりさすがです。ドラマでは、最初は「大坂には行かなーい」と言っていた信繁ですが、実際のところどうだったのでしょうか?
関ヶ原の合戦から14年という歳月を九度山で過ごした真田信繁が、いよいよ、九度山を抜け出し、大坂城に入城します。「真武内伝追加」には信繁は兵法書を読み、兵術、弓、鉄砲の鍛錬をしていた様子が記されています。「武将感状記」には、父昌幸が「豊臣と徳川は必ずぶつかる」と語ったとされていますが、その言葉を固く信じて待っていたということでしょうか。
九度山記事
真田信繁(幸村)が14年幽閉されていた九度山は真田愛に満ちた町だった。
監視の目を盗み九度山脱出
九度山を脱出した日、信繁は村人を招いて宴を開き、全員が酔いつぶれたあと、村人が乗ってきた馬に乗って脱出したとされています。村を挙げての狂言と取れなくもないですね。また、監視役であった領主浅野長晟(あさのながあきら)はもともと豊臣恩顧の武将で、信繁に同情的であったため、わざと見逃したのではないかという話もあります。(…どうでしょうそんな危ないことしますかね?)
信繁が脱出したとき、地元の領民を多数従えていたとされています。こう聞くと、鍬を片手の農民を想像するかもしれませんが、和歌山は、織田信長と十年におよぶ石山合戦で戦った鉄砲を得意とした傭兵集団であった雑賀衆(さいかしゅう)を生み出し、反骨精神旺盛な人々が多い土地柄です。信繁の手勢は、雑賀衆や、戦国の時代に敗れ去り再起を望んでいた人々が、昌幸、信繁親子を間近に見ながら、魅了されて付き従うようになった精鋭部隊だったのかもしれませんね。