徳川の世を盤石にするためにも、豊臣秀頼を自分が生きている間に滅ぼしておきたい徳川家康。ところが、戦をするにしても、大義名分が立たないと味方を集められず、苦戦をしいられます。豊臣に非があると主張するために、家康は性格の悪いトラップを仕掛けていきます。
寺院建立のススメ
表面的には友好的な態度を見せていた家康は、神仏のご加護があるようにと、豊臣家に、各地の荒廃した寺院の復興と、建立のアドバイスをします。これにより、莫大な資金を捻出させ、豊臣家の弱体化を促します。
いちゃもんを付けるところはないか、くまなくチェック
とりあえずなんでもいいから、いちゃもんを付けるというスタンスで、粗探しをしていた家康に朗報が飛び込みます。秀頼が父秀吉が建立した方広寺を再興させるため、膨大な資金をかけて大仏殿の再建をします。ここに設置された鐘に刻まれた文字「国家安康こっかあんこう」「君臣豊楽くんしんほうらく」が家康の死を願い、再び天下を掌握しようという野心の表れだと主張し、開眼供養に待ったをかけます。
片桐且元は裏切らない
家康からのいちゃもんにびっくりした淀と秀頼は、且元を家康のもとにやって弁明させます。家康は且元とは面会せず、本多正純に「淀と秀頼の大坂城退去」または「淀を江戸へ人質として出す」事を命ずるという雰囲気を醸し出します。明言してないと言うのがミソらしい…
この報を持って、大坂城に戻り伝えた且元は、豊臣家から裏切り者扱いを受けます。次に淀は大蔵卿局を家康の元に派遣しますが、家康の態度は一変し、終始和やかな雰囲気で面談は終了します。且元と大蔵卿局の報告があまりにかけ離れているため、大坂城内部で且元謀反の疑いは濃厚となっていきます。命の危険を感じた且元は屋敷にこもり、且元は改易されてしまいます。
いい仕事をした且元
且元はこの後、弟のいる茨木城に籠城します。(私の地元☆)この且元の処分に、いちゃもんをつけたのが徳川家康。秀吉が秀頼に付けたお守り役で、五大老が城の警備責任者として任命していた且元を城から追い出すとは何事かと怒り出し、豊臣討伐を決定。大坂の陣の宣戦布告がなされます。九度山の信繁の元に、大坂城からの使者が来ます!
片桐且元は私の地元の殿様なので、真田丸でヘタレな殿を見ながら、応援してきましたが、やっとその勇姿が見られるのかと感無量です。