NHK大河「真田丸ー第37話 信之」父と弟を命がけで救済する信幸が改名し信之へ

前回の真田丸では関ヶ原が50秒で終わってしまいましたが、ここで、家康の動きを簡単に触れておきましょう。

関ヶ原の戦いでの家康の動き

会津(上杉景勝)討伐のため、家康は会津へ向けて6月16日に大坂城を出発します。7月2日には江戸城に入り、まず、19日に嫡男の秀忠を総大将として会津へ差し向けます。そして21日に江戸城を家康が出陣しますが、24日、下野小山にて石田三成の挙兵を知ります。家康は、会津討伐に従軍していた大名を招集、軍議を開きます(小山評定)。ほぼ全ての大名は家康に従う意向を示した一方で、真田昌幸と、美濃岩村城主の田丸直昌は豊臣方に付きました。

真田丸 関ヶ原行軍ルート

三成を迎撃する事で決した評定の後、家康は、秀忠に約38,000の軍勢を付けて、中山道を通って美濃への進軍を命じます。秀忠は8月24日に宇都宮城から上田城へ出発します。そして、上杉の監視として、結城秀康(家康の息子)を総大将とし宇都宮城に留め、家康は、江戸城に戻りますが、情勢が不透明であったため、しばらく江戸城に留まり、諸将に書状を約200通も送り続け繫ぎとめと調略を継続します。家康は、8月29日に秀忠へプラン変更書状をもたせた使者を送り、9月1日に約33,000の軍勢を率いて出陣します。雨で行く手を阻まれて使者の到着が遅れてしまい、秀忠が家康の書状を受け取ったのは、9月9日。関ヶ原手前の大垣という場所に9月9日に来るようにという指示が書いてあり、真田攻めを切り上げて、家康のもとへ急行しようとしますが、合戦には間に合わず、秀忠は木曽の馬籠で関ヶ原戦勝の報告を受けます。秀忠は少人数で家康のいる草津へ爆走しますが、家康は会ってくれませんでした。

秀忠の遅参でビミョーになった家康の論功行賞

所領没収

石田三成ー斬首
大谷吉継ー戦死(自害)
小西行長ー斬首
宇喜多秀家ー改易
長宗我部盛親ー改易
真田昌幸、信繁ー改易

減封

上杉景勝ー120万→30万石へ
毛利元康ー120万石→36万石へ

など諸大名から没収した領地と豊臣の直轄地を合わせると780万石(諸説あり)になりました。これを家康の身内と譜代大名で分ければ、即家康の天下となったはずでしたが、秀忠の部隊は上田合戦では敗戦、関ヶ原には遅参であったため、家康部隊の半分以上が恩賞を受けられない状況となりました。秀吉恩顧の大名の活躍が大きく、せっかく取得した所領を豊臣系列の大名に配分するはめになります。

真田昌幸と信繁は死罪

家康は昌幸と信繁は死罪と決めていましたが、信幸と義父本田忠勝からの助命嘆願と榊原康政のとりなしにより命は助けられて、高野山へ配流となります。二人はその後、九度山へ移りそこで永蟄居となります。この後、信幸は父の「幸」という字を捨て信之と名乗ります。

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