NHK大河「真田丸ー第32話 応酬 」秀吉没後、豊臣政権の要であった前田利家ってどんな人?

秀吉の没後、絶大な求心力を失った豊臣政権下で、衝突しそうな各勢力の均衡をギリギリ保っていた人物が前田利家だったと言われています。前田利家というのはどういう人物だったのか、おさらいしてみましょう。

稀代のイケメンで暴れん坊だった前田利家

前田利家戦国時代の平均身長が157センチだったにもかかわらず、身長182センチ細身で容姿端麗だったとされています。若い頃は織田信長の小姓で夜の相手も務めていました。主君の愛人という立場は出世にも有利だったので、他の家臣からは羨ましがられていましたが、ある日、同じく信長に気に入られていた拾阿弥という茶坊主に腹を立てて切り捨て、出奔してしまいます。せっかく出世街道に乗っていたのに自分の短気から浪人になってしまいます。

浪人中は勝手に参戦して首級を上げる

前田利家は、イケメンだった上に武勇にも長け、戦でもいくつも手柄を上げてきました。信長の元を出奔したあとは、許してもらうために、信長の戦に勝手に参戦していくつも首級(敵方の武将の首を持って帰る事)をあげました。桶狭間の戦いでは、3つの首級をあげましたが許されず、翌年の森部の戦いでも無断で参戦して、豪傑で有名だった武将足立六兵衛の首級ともう一つ計2つの首級を上げ、ついに帰参を許されその後柴田勝家の与力となります。

秀吉とは古くからの友人だった

織田政権時代には、信長の居城の城下町において隣人であり、秀吉が足軽時代からの友人でした。夫婦ともに仲が良く、子供がいない秀吉夫妻に利家は四女を養女に授けます。

信長の死後は主君と友人の間で板挟みに

信長が本能寺の変で横死した後、家督争いにおいて利家の主君柴田勝家と秀吉が対立します。忠義と友情の間で板挟みになりしばらく苦しみますが、勝家と秀吉が織田家の勢力を二分して戦った、賤ヶ岳の戦いで利家は約5000の兵を突如引き、秀吉軍の勝利を決定付けます。この後、秀吉軍に下った利家は、柴田勝家が最期の戦のため篭る北ノ庄城を先鋒として攻めます。

秀吉が信頼する数すくない臣下へ

小田原攻めでは、降伏してきた奥羽の大名の尋問と秀吉への取り継ぎをし、秀吉が大阪城へ戻った後も、地元の紛争がまだ絶えない奥羽地方の鎮圧のため現地に残ります。そして、朝鮮出兵の折、秀吉が母親の危篤のため名護屋城を空けた時は、秀吉に変わり徳川家康とともに政務をとりました。

醍醐の花見に招かれた唯一の男性

秀吉が最晩年に行った醍醐の花見では、輿の順序が、北政所(寧)、淀の方(側室)、松の丸殿(側室)、三の丸殿(側室)、加賀殿(側室)、そして前田利家の妻まつが続きました。宴に招かれたのは利家以外全て女性で、宴に参加していた男性は秀吉、秀頼、利家の3名だけでした。秀吉は、前田利家夫婦を家族のように優遇していたということでしょうか。

秀吉が頼みにしていた利家ですが、醍醐の花見を期に体調不良を理由に隠居をします。家督を利長に譲りますが、五大老を申し付けられ実質的には隠居は許されませんでした。秀頼の傳役(もりやく)として、体調不良を押して政務を執り行いますが、秀吉の死後わずか8か月で病死します。

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