NHK大河「真田丸ー第22話 裁定」沼田城ってどういう経緯で真田の城になったのか復習してみる。

沼田城の石垣

真田の城になる前の沼田城

1569年に沼田城主であった沼田朝憲がお家騒動のため暗殺され、沼田城は城主を失います。その後は、沼田を抑えていた上杉謙信の属城となります。

上杉謙信が急死し、上杉景勝(長尾家からの養子)と上杉景虎(北条家からの養子)の跡目争い「御館の乱(おたてのらん)」が勃発します。沼田城も長尾vs北条で対立、北条の軍勢が沼田城を落とします。しかし、御館の乱に敗れた景虎が自刃してしまい、沼田城の北条を動揺させます。

真田昌幸が沼田城を調略

武田勝頼に、上野(こうずけ)攻略を命じられていた真田昌幸は、この混乱に乗じ、沼田城の藤田信吉と金子泰清を調略します。昌幸は1580年に、沼田城を手中に収めるのに成功します。1581年にお家騒動の末会津に逃亡していた沼田景義(沼田朝憲の兄弟)が挙兵し、沼田城奪還に動きます。真田昌幸の策略で、沼田城におびき寄せられた沼田景義は城内で誅殺されます。

主家を失った真田は織田へ従属

真田昌幸は、武田家が滅亡してからは織田信長の臣下に下り、沼田城は滝川一益の所領となりますが、信長が暗殺された後は、昌幸が沼田城を取り戻します。その後は、北条の執拗な攻撃を受けますが、昌幸の叔父で城代の矢沢頼綱が守り抜きます。

沼田城城主の変せん

沼田氏→上杉氏→北条氏→真田氏

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