最近、猛烈な低速度で進む真田丸。ややこしい時勢を描くため視聴者を混乱させないためにスピード落としているのかな?そして、次は確実に神流川の合戦が主軸となりますよね!本能寺の変から約1ヶ月の短期間で、日本トップクラスのエリートだった滝川一益がまさかの失墜。本能寺の変から時系列で、一益と世の中の動きをたどってみました。
神流川(かんながわ)の戦いと滝川一益の逃避行
① 6月13日 山崎の戦い
豊臣(羽柴)秀吉が織田信長の敵討ちと称して、明智光秀を打ち負かしました。明智光秀は逃走しますが、敗走途中に打ち取られます。これによって、豊臣(羽柴)秀吉が、織田家中での主導権を握ります。
② 6月13日 沼田城の反乱
滝川一益に仕えていた藤田信吉が上杉方と通じて、沼田城を攻撃します。水曲輪を乗っ取りますが、滝川軍2万が北上してきたので、沼田城攻略をあきらめ越後(上杉領)に逃げます。
③ 6月16〜19日 神流川の戦い
信長の死が確定事項となるや、北条軍は5万の兵を上野へ向け北上させます。滝川一益は1万8千の軍勢で進軍します。初日は滝川軍の勝利となりますが、北条の本隊が到着し、武田の旧臣であった上州衆はモチベーションが低過ぎて役に立たず、滝川軍は玉砕します。
④ 6月20日 箕輪城へ
滝川一益は、厩橋城の長昌寺で戦没者の供養をした後(なんですぐ逃げないのか?!)、箕輪城へ移動します。ここで、上州衆と別れの宴(緊急時代でも礼を尽くすということ?)を催して翌日小諸城へ出立します。
⑤ 6月21日 小諸城へ
滝川一益は、佐久・小県の人質を伴って、箕輪城から碓氷峠を越えて小諸城へ。本拠地である伊勢長島城へのルートを阻む木曾氏に佐久・小県の人質を渡す変わりに通行させてもらう約束をします。
⑥ 6月27日 清洲会議
織田四天王の一人であった滝川一益を抜いて、今後の織田家の方針を決める会議が催されました。ここで、豊臣(羽柴)秀吉が担ぐ、織田信忠の嫡男である三法師(織田信長の孫)が織田家の家督を相続する事が決定します。
⑦ 6月28日 木曾福島城
滝川一益は、佐久・小県の人質を木曾義昌に引き渡し、木曾谷を無事通過し織田領である美濃へ入ります。
⑧ 清洲城へ立ち寄る
伊勢長島城へ帰る途中、清洲城へ立ち寄り三法師に拝礼します。
⑨ 7月1日 伊勢長島城に帰還
滝川一益は無事に帰還するものの、織田家での地位は急落します。
大混乱のその他の織田勢
南信濃を治めていた毛利長秀は領地を放棄して尾張へ逃亡、甲斐の河尻秀隆は武田旧臣に殺害されます。北信濃を治めていた森長可も出浦盛清以外全員の信濃国衆に裏切られ、領地を放棄して美濃へ逃亡します。長可は逃亡を助けてくれた出浦に感謝し、脇差しを与えています。途中、木曾義昌に命を狙われますが義昌の息子岩松丸の身柄を拘束して、逆に逃亡の手助けをさせ無事に領地に帰還します。
滝川一益はちゃんとしすぎ?
弱小大名から成り上がった戦国武将の多くは、ものすごいスピードで決断したり、裏切ったりしますが、滝川一益はちょっとおっとりしている印象ですね。大河ドラマでも、めっちゃおっとりして、信長が死んだ事を知らずに「どこかいい温泉地ない?」って聞いてましたね(笑)。律儀で真面目で良い人な気がしますが、生き馬の目を抜く戦国の世では淘汰されてしまいそうです。滝川さん頑張って!