東海道は飛鳥時代に整備された五幾七道の一つで、古代から日本の大きな交通路でした。井伊氏の拠点である井伊谷城は東海道からほど近く、平野部と山間部の境界線にある立地に築かれたお城です。東海地方では、古代から平安期にかけての朝廷の影響力というのはこの街道沿いの都市部に限られ、山間部は別の文化圏だったと考えられています。井伊氏はこの山間部の文化圏に属していた豪族で都市部の支配者とは対立していたことが想定されます。
- 1333年 鎌倉幕府が滅亡 今川氏(足利一門)が遠江の守護となる
- 1337年 北朝方の今川氏と南朝方の井伊氏が三方ヶ原で合戦。引き分け。
- 1338年 足利尊氏征夷大将軍となる
- 1340年 北朝方の攻撃を受け井伊氏は降伏
- 1392年 南朝第4代亀山天皇が北朝に譲位。南北朝合一
名門足利一門の今川氏 vs. 井伊谷の豪族井伊氏
平安時代が終わり、鎌倉時代になってもその状況は変わらず、鎌倉幕府が倒され南北朝時代となります。この頃の遠江国の守護だったのは今川氏でした。南朝のリーダー後醍醐天皇は自身の皇子を全国に派遣し北朝勢力と対抗させようとします。各地の豪族は自分たちの利害に基づいて南北朝に分かれて戦いました。遠江国の守護であった今川氏は北朝方(今川氏の本家である足利家が北朝の主力大名であったため)、井伊氏は南朝方につきました。
出典
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