西郷隆盛の前半生
西郷隆盛は薩摩藩の下級武士の家庭で生まれ育ちますが、当時の藩主島津斉彬にその才能を見出されて、瞬く間に出世していきます。斉彬は、先進的な考え方の人で、西洋の技術を積極的に取り込み、軍隊の近代化を推し進めていきます。西郷隆盛は斉彬の思想に強い影響を受けますが、斉彬が急死した事で、失脚します。その後、薩摩藩の政治の中心に復帰した西郷隆盛は、幕末の動乱の鎮圧、倒幕、明治新政府樹立へと動きます。
明治維新の英傑から朝敵へ
明治新政府樹立後、盟友であった大久保利通らと意見が対立し、新政府の要職を辞任し鹿児島へ帰還してしまいます。鹿児島では私学校を設立し、地元の若者たちを指導しながら穏やかな日々を過ごしていました。ところが、明治新政府から廃刀令が出され、士族の特権を奪われた元士族たちが各地で反乱を起こし、西郷の私学校の生徒も決起し「西南戦争」が勃発します。西郷隆盛は「西南戦争」のリーダーとして明治新政府と戦いますが、敗れて鹿児島城の裏山「城山」で自決して果てます。
幕末、明治維新の動乱の舞台となった城
城名 |
鹿児島城(かごしまじょう) |
別名 |
鶴丸城 |
城説明 |
島津氏によって築かれた平山城。城山に築かれた上山城と山麓に築かれた鶴丸城が融合して一つの城郭を成している。 |
城名 |
山口城(やまぐちじょう) |
別名 |
山口屋形、山口政庁、山口政事堂 |
城説明 |
幕末の動乱期に毛利敬親の居城として築かれた平城。 |
城名 |
萩城(はぎじょう) |
別名 |
指月城 |
城説明 |
関ヶ原の戦いの後、西軍の旗頭であった毛利氏が減封され広島から移り新規に築城した。 |
城名 |
五稜郭(ごりょうかく) |
別名 |
亀田御役所土塁、柳野城 |
城説明 |
徳川幕府が北辺防備のため築いた西洋式城郭。 |
城名 |
熊本城(くまもとじょう) |
別名 |
千葉城、隈本城、銀杏城 |
城説明 |
日本三大名城の一つとされ、加藤清正築城の名城。荘厳な石垣は「清正流(せいしょうりゅう)」とも呼ばれる。 |
西郷隆盛ゆかりの地
- 西郷隆盛生誕の地
西郷隆盛の誕生の地(鹿児島県鹿児島市加治屋町)
- 西郷野屋敷跡
青年期の西郷隆盛がよく一人で滞在していた屋敷跡(鹿児島県鹿児島市西別府町)
- 西郷屋敷跡
西郷隆盛が明治新政府を離れてからの4年間を暮らした家(鹿児島県鹿児島市武2丁目28-7)
- 私学校跡
西郷隆盛が明治新政府を離れた後、地元の若い士族のために設立した学校(鹿児島県鹿児島市城山町8)
- 城山(鹿児島城の裏山)西南戦争薩軍本営跡
西南戦争にて、薩軍の本営が置かれた地、他にも西郷洞窟、西郷隆盛が自決した場所がある(鹿児島県鹿児島市城山町)