伊治城

 
お城名
伊治城(これはりじょう/これはりのき)
概要
宮城県栗原市にあった古代城柵。蝦夷出身の上治郡の大領伊治呰麻呂(これはりのきみあざまろ)が伊治城で官僚2名を殺害し反乱を起こす。
遺構
大溝土塁
種類
城柵
築城年
奈良時代(710年 – 794年)
所在地
宮城県栗原市築館城生野唐崎
アクセス
くりこま高原駅から徒歩50分
オフィシャルサイト

伊治城のおすすめ記事   

オススメの本、雑誌

  • 蝦夷と東北戦争

    蝦夷と東北戦争

    古代国家が、蝦夷を武力で制圧した「征夷」。伊治公呰麻呂の乱をはじめ、阿弖流為と坂上田村麻呂の戦いなど、八世紀から九世紀に至る幾多の戦乱を検証。征夷に関わった人々に焦点を当て、蝦夷支配の真実を描き出す。
  • 一冊でわかるイラストでわかる図解戦国史

    一冊でわかるイラストでわかる図解戦国史

    一冊でわかる、イラストでわかる 図解 戦国史
    地図・イラストを駆使し、歴史のポイントを多面的に解説豊富な図版で戦国大名たちの勢力変遷も一目瞭然。
    室町幕府の崩壊
    戦国大名の出現
    織田信長の台頭
    織田勢力の拡大
    豊臣秀吉の時代
    徳川幕府の成立
  • 歴史街道 2017年 03 月号

    歴史街道 2017年 03 月号

    軍神毘沙門天の加護を.信じ、生涯不犯を通して、利ではなく義を重んじて戦った戦国最強の武将…。上杉謙信といえば、高潔である一方、やや観念的な、現実離れした人物というイメージがあるかもしれません。そもそも領土拡張をしない謙信は、何のために戦ったのでしょうか。しかし最近の研究で、その政治手腕が極めて合理的・現実的であったこと、また、彼が生涯を賭けて求め続けていたものが、明らかになり始めています。さらに、謙信が第四次.川中島合戦で用いたという車懸りの実像は、どんなものだったのか。実は私たちが知る戦国の陣形は、実際と異なり、車懸りとは陣形ではなく、恐るべき戦法だったのです。従来像を覆す、新たな謙信を描き出します。第二特集は「志士たちの学校」です。

コメントを残す