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源義経の活躍めざましかった「源平合戦」のクライマックス
とても有名な「源平合戦」ですが、平氏と源氏が戦って最後、源氏が勝ったという流れは知っていても、細かい戦がどう連なっていったのかちゃんと記憶している人は少ないのではないでしょうか。今回の記事では、源平合
お城や遺跡・歴史を楽しむための豆知識などを記事にしています。
とても有名な「源平合戦」ですが、平氏と源氏が戦って最後、源氏が勝ったという流れは知っていても、細かい戦がどう連なっていったのかちゃんと記憶している人は少ないのではないでしょうか。今回の記事では、源平合
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ドラマの舞台は伊豆から鎌倉へ移り、頼朝は後に鎌倉幕府となる館を現在の鶴岡八幡宮の隣となる位置に築きました。さらっと、鎌倉幕府序盤の歴史まずざっと、この時
城好きの城好きによる城好きのためのイベント「お城EXPO」。この一大イベントが今年の12月にも開催されることが決定しました。年明け前の連休はお城にどっぷり浸かりましょう!お城EXPOとは2
白塗り、お歯黒、蹴鞠大名だけど実は骨太大名の今川義元義元は家督相続争いを制し今川家の当主となります。抗争状態にあった武田氏と同盟を結んだことで、武田氏との抗争がひと段落したかと思ったら、それが盟友
家康の出鼻をくじく一向一揆井伊家の命運を握る、家康の動向について少し触れてみましょう。1560年の桶狭間の合戦以後、元康から家康に名を改め、今川から独立し織田信長と清洲同盟を締結した徳川家康は、当
桶狭間の後、松平元康 (徳川家康)は今川氏からしれっと独立し、旧領三河の平定に乗り出し、ついでに織田氏と同盟を結びます。井伊氏の所領がある遠江の強大な支配者であった今川氏は、瞬く間に力を失い、
三河と尾張の歴史をさらっと尾張では元々の支配者であった守護大名斯波氏の家臣であった織田弾正忠家が力を持ち始め、織田信定、織田信秀の二代に渡り領土を広げ三河方面へ侵攻していました。三河では、西三河の
武田氏北条氏の大躍進この頃の日本は勢力の新旧の入れ替わりが激しく、その中でも、武田信玄と北条氏康の躍進は目まぐるしいものでした。武田氏は甲斐、信濃を平定、木曽氏、小笠原氏の領土も飲み込み大躍進
戦国時代の幕開けと遠江の情勢今川家は鎌倉幕府倒幕の主勢力であった足利家の親族にあたる家柄で、斯波家や畠山家をはじめとする、他の足利一門とは別格の家柄でした。そして、井伊谷がある遠江は、鎌倉幕府が倒
1333年 鎌倉幕府が滅亡 今川氏(足利一門)が遠江の守護となる 1337年 北朝方の今川氏と南朝方の井伊氏が三方ヶ原で合戦。引き分け。 1338年 足利尊氏征夷大将軍となる 134
1010年 初代共保が井戸より誕生1010年というと平安時代真っ只中、翌年の1011年には紫式部の源氏物語が完成した年というとイメージがつきやすいでしょうか?この頃に井戸から生まれたという伝説
真田丸、とうとう最終回!!1615年5月7日徳川と豊臣の最終決戦の日となります。豊臣方は前日の道明寺付近で徳川軍を防ぐ事が叶わず、翌日大坂城の南側の天王寺口付近で徳川と対峙する事となります。