日本海外交で数々の来賓を迎えた秋田城
大和朝廷はまだ支配下になかったエミシの土地(現在の東北地域)に勢力を伸ばすため、城柵を築いていきました。秋田城は、760年に設置され国府(地方行政府)が置かれていましたが、秋田城付近では度重なるエミシの反乱が起きていて、 […]
日本のお城のレポートは主に現存の石垣とか空堀とか切り堀とか、、、ニッチな情報とともにお城&遺跡の現地説明会情報などを収集発信しています。
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著者が実際にお城を訪問した時のレポート。お城の歴史、遺構や地形などお城の見どころなどを写真やマップなどを掲載して分かりやすく紹介しています。各記事にはお城の住所やアクセス情報など、訪問時に必要な情報も載せています。
大和朝廷はまだ支配下になかったエミシの土地(現在の東北地域)に勢力を伸ばすため、城柵を築いていきました。秋田城は、760年に設置され国府(地方行政府)が置かれていましたが、秋田城付近では度重なるエミシの反乱が起きていて、 […]
大友氏遺跡の中心施設である、大友氏館の発掘調査は現在も進行中で、これまでに、庭園跡、主殿と考えられる中心建物の遺構や高級陶磁器が発見されています。大友氏館は14世紀後半(南北朝時代)に整備され、16世紀後半大友宗麟と息子 […]
大友氏の栄枯盛衰 大友氏が大分府内の大友氏館(臼杵城から北西方面に約30キロ)から臼杵城に拠点を移したのは、1557~1561年(具体的に時期を断定する資料はない)とされています。大友氏館は地形的にも平たんな土地にあり、 […]
古城から新城(今の岸和田城)の場所にいつ移ったかはわかっていませんが、岸和田市のサイトによると、信濃氏の頃には、新城の二の丸の位置に城があったとあり、当時の主曲輪(現在の二の丸)には海が間近に迫っていて、辺りには葦原が広 […]
なぜ、名古屋城ができたのか 名古屋城の起源は16世紀の前半、今川義元の父、今川氏親が尾張制圧の足がかりとするため築いた「柳ノ丸」という城です。この「柳ノ丸」の城主は今川氏豊(今川氏親の子か?)で、織田信長の父、織田信秀は […]
今の志波城跡には「志波城古代公園」が整備されていて、築地塀や、大溝(堀)、外郭南門、政庁の門、官衙建物が復元されていて、当時の様子を見ることができます。外郭をぐるっと囲む築地塀の外側には、土塁をともなう大溝(堀)が巡らさ […]
最後の砦大平城 大平城は井伊氏本城である三岳城の東を守る支城でした。築城年代は不明ですが、記録に登場するのは南北朝時代、井伊氏が北朝方と戦っていた頃となります。井伊家12代目当主井伊道政が南朝方の皇子であった宗良親王を守 […]
千頭峯城はGoogle Mapに入力すると表示されるので、比較的たどり着きやすいです。摩訶耶寺から登山道が伸びていますが、車の方はもう少し山を登って、千頭峯トンネル手前のパーキングまで行くと、すぐに東の曲輪のにたどり着け […]
三岳城は井伊氏の本城にあたる城で、南北朝時代に井伊道政によって築かれたと伝わります。本城を囲み北の支城天山城(あてやまじょう)、東の支城大平城(おいだいらじょう)、西の支城千頭峯城(せんとうがみねじょう)、南の支城鴨江城 […]
杉山城は、築城の歴史など謎に包まれている、埼玉県比企にあるコンパクトな山城です。近年の発掘調査で15世紀末から16世紀前半の城であったことが判明しました。当時、この地域でしのぎを削っていた、山内上杉氏が扇谷上杉氏との抗争 […]
2017年の大河ドラマの舞台となる井伊谷城は、静岡県浜松市にある中世の山城です。南北朝時代からの遠江西部の有力国人であった井伊氏の居城で、南麓には井伊氏館(井伊城)がありました。しかし、南麓一帯は宅地開発されてしまい遺構 […]
徳川家康のお城として有名な浜松城ですが、その歴史は室町時代まで遡ります。 曳馬城時代の浜松城 浜松城の前身である曳馬城(ひくまじょう)は、室町時代末期ー戦国時代の初めの築城とされています。一時期、井伊直平が城主を務めてい […]