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古代東北最後の城柵 徳丹城へ
ユニークな遺構が残る徳丹城平安時代初期(812年頃)に、 岩手県盛岡市あった志波城が雫石川の氾濫により損壊したため、12キロほど北上した北上川の自然堤防に徳丹城が造営されました。当時は(という
東北城柵の訪問記事を掲載しています。
ユニークな遺構が残る徳丹城平安時代初期(812年頃)に、 岩手県盛岡市あった志波城が雫石川の氾濫により損壊したため、12キロほど北上した北上川の自然堤防に徳丹城が造営されました。当時は(という
大和朝廷はまだ支配下になかったエミシの土地(現在の東北地域)に勢力を伸ばすため、城柵を築いていきました。秋田城は、760年に設置され国府(地方行政府)が置かれていましたが、秋田城付近では度重なるエ
今の志波城跡には「志波城古代公園」が整備されていて、築地塀や、大溝(堀)、外郭南門、政庁の門、官衙建物が復元されていて、当時の様子を見ることができます。外郭をぐるっと囲む築地塀の外側には、土塁をともな
平安時代のミステリーゾーン東北地方の前線基地だった胆沢城奈良時代から平安時代の日本では、京都、奈良から離れて中央政権の力が及ばない関東以北は蝦夷(エミシのちにエゾ)と呼ばれていました。エゾというと