見事な桜が咲き誇る江戸城「千鳥ヶ淵」を訪れてみました。
千鳥ヶ淵は江戸城のお堀 千鳥ヶ淵は江戸城内堀に当たる箇所で、現在の北の丸公園の外周にあるお堀です。最寄り駅は九段下駅ですが、神保町駅や半蔵門駅からも徒歩圏内です。元は、半蔵濠と繋がっていましたが、明治期に道路建設のため分 […]
日本のお城のレポートは主に現存の石垣とか空堀とか切り堀とか、、、ニッチな情報とともにお城&遺跡の現地説明会情報などを収集発信しています。
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著者が実際にお城を訪問した時のレポート。お城の歴史、遺構や地形などお城の見どころなどを写真やマップなどを掲載して分かりやすく紹介しています。各記事にはお城の住所やアクセス情報など、訪問時に必要な情報も載せています。
千鳥ヶ淵は江戸城のお堀 千鳥ヶ淵は江戸城内堀に当たる箇所で、現在の北の丸公園の外周にあるお堀です。最寄り駅は九段下駅ですが、神保町駅や半蔵門駅からも徒歩圏内です。元は、半蔵濠と繋がっていましたが、明治期に道路建設のため分 […]
日本三大山城、日本100名城(財団法人日本城郭協会)、日本最強の城(2018年6月に放送された「あなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル(NHK)」では初代日本最強の城に認定された。)など各種の城タイトルホル […]
香取の海最西端の城 松ヶ崎城の近くにある手賀沼は、江戸時代初期まで牛久沼、印旛沼、霞ケ浦と一体となった香取の海と呼ばれた大きな内海の一部で、松ヶ崎城の際まで水が迫っていたと考えられています。調査により曲輪、土塁・空堀、虎 […]
ユニークな遺構が残る徳丹城 平安時代初期(812年頃)に、 岩手県盛岡市あった志波城が雫石川の氾濫により損壊したため、12キロほど北上した北上川の自然堤防に徳丹城が造営されました。当時は(というか江戸時代まで)、川や運河 […]
高崎城散策 1.高崎城址のランドマークといえば、お濠端通りと大手門通りの交差点付近にある、模擬石垣と移築櫓と移築門です。模擬石垣の上に据えられた乾櫓(県指定重要文化財)は元、本丸にあった4基の櫓の内の一つで土塁の上にあっ […]
要害山城へは本数の少ないバスで積翠寺まで 要害山城へは甲府駅からバスに乗り、要害山の北側山麓にある積翠寺にて降車、登山口までは15分程度です。といえば、結構近い気がしますが、訪問時は真夏で炎天下、結構急な坂道を上るので、 […]
船岡山城の歴史 船岡山は山名氏らが率いる西軍の砦とされましたが、翌1468年に東軍の浦上則宗の襲撃の受け落城しました。その後、細川氏三人の養子(細川澄之、細川澄元、細川高国)の家督争いに端を発した船岡山合戦(1511年) […]
一益は城の南に位置する長昌寺に上野国の諸将を招き本格的な能を披露しました。それが記録に残る群馬県での最初の能興行と言われています。しかし織田信長が本能寺の変で暗殺されたために上野国は再び情勢不安となり、一益は伊勢に撤退し […]
利権がからむ戒壇(かいだん)の設置 奈良時代から平安時代は、正式に(国家資格を持つ)僧となるには戒壇で授戒する必要がありました。東大寺や国分寺などの官立寺院が僧を管理していましたが、822年以降官立寺院でない延暦寺にも戒 […]
当時の落首で「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほど名城となります。(まぁ、石田三成をディスってる訳ですけどね、、、) 1600年関ケ原の合戦時、佐和山城を守っていたのは父の正継、兄の正澄で東 […]
現在の二条城は歴代4代目で(初代から3代目については後述)、関ヶ原の合戦後の1603年に徳川家康が天皇に謁見する為の上洛時に滞在する宿泊施設として作られました。ここで、徳川家康が征夷大将軍として任命される将軍宣下の儀式が […]
1569年に武田信玄が北条領地に攻め込んできた時、武田氏の別動隊小山田信茂隊に三の丸まで攻め込まれてしまいます。落城は免れたものの、滝山城(比高約70m)の防御力が不足していると認識され、より標高の高い深沢山(比高約24 […]