武田信玄出生の地 武田の中世山城の姿を今にとどめる要害山城

要害山城

要害山城は、山梨県甲府市にあった武田氏の山城です。武田信虎が1519年に新しい拠点として平時に政務をとる躑躅ヶ崎館と、有事に籠る詰めの城として要害山城を築城しました。1520年に今川氏の武将福島正成が甲斐へ侵攻しました。当時身重であった信虎の正室大井夫人は要害山城に避難し後の武田信玄をここで出産しました。

要害山城へは本数の少ないバスで積翠寺まで

要害山 看板要害山城へは甲府駅からバスに乗り、要害山の北側山麓にある積翠寺にて降車、登山口までは15分程度です。といえば、結構近い気がしますが、訪問時は真夏で炎天下、結構急な坂道を上るので、まぁまぁ消耗しました。相川にかかる橋を渡り登山口に到達。ここには、要害山城の看板があります。城跡の看板としては結構情報が少ないほうですね、、、しかも、武田の城。

夏の訪問では遺構が見えにくい、、、

要害山 竪堀登山口からは普通の山登りになります。そこまで距離はないですが、やはり真夏なので暑くてきついという感じでした。途中、竪堀、土塁などの小さな看板がありましたが、解説の看板などは無かったです。夏なので、下草がボーボーで竪堀なども目視では確認できず、、、わからない(汗)

要害山 石積み草に埋もれた石積み

要害山城 門跡
要害山城 門跡

武田不動中腹で開けた広めのエリアに出ます。麓の看板によると武田不動です。不動明王の石像があります。

富士山が望める主郭に到着!

要害山 富士山ここから、少し登ると主郭に到着。天気がいいと富士山が見られます。

要害山 主郭 武田信玄出生の地主郭には東郷平八郎の書による「武田信玄公誕生の地」の石碑があります。「身重で山登り??!!きつすぎるでしょ?」と思ったら、麓の積翠寺で出産したという説もあるそうです。そちらのほうが現実的な気がしますね。

要害山城 主郭の土塁
要害山城 主郭の土塁

要害山城訪問まとめ

要害山麓から市街地を眺める

今回、真夏に訪問してしまったためによく遺構が見られませんでした。要害山を訪問された方のレポートを拝見すると石垣などの写真を載せられているので、葉が落ちた冬であれば、見どころに満ちた山城なのだと思います。ぜひ冬に再訪したいものです。(執筆現在は、12月、、、行こうかな~)

出典

オススメの本、雑誌

  • 武田信玄 謎解き散歩 (新人物文庫)

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    「軍神」上杉謙信と互角に渡り合い、「魔王」織田信長を恐れさせ、「神君」徳川家康を死の直前まで追い詰めた男―。後世に語り継がれる信玄の活躍ぶりは、まさに「戦国の巨人」と呼ぶにふさわしい。しかし、実際の信玄は果たして伝説が語るような人物だったのか?本書では残された文書や逸話、史跡などから信玄という人間の本当の姿を解き明かそうと試みている。ふるさと山梨をはじめ、「甲斐の虎」が残した足跡をたどりながら、数々の信玄伝説の真相をもとめて訪ね歩く。
  • 「城取り」の軍事学―築城者の視点から考える戦国の城

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    「城は山城から平城へと発展した」、「城は領内統治のための権威の象徴」、「城は単純で小さな形態から複雑で巨大なものへと進化する」…。こうした通説を、民間学とした発展した「縄張り」分析の手法と、軍事学の視点をもって打破する。そこに現れるのは、戦争という「一回性の状況」を映し出した千差万別の個性ある城たちであった。
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    地図・イラストを駆使し、歴史のポイントを多面的に解説豊富な図版で戦国大名たちの勢力変遷も一目瞭然。
    室町幕府の崩壊
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    織田信長の台頭
    織田勢力の拡大
    豊臣秀吉の時代
    徳川幕府の成立

お城データ

 
お城名
要害山城(ようがいやまじょう)
お城別名
要害城、積翠山城、積翠寺城
概要
標高は770mの要害山に武田信玄の父・信虎が築いた城で、山中には土塁や石垣、竪堀跡などの遺構が残っている。
主な城主
武田信虎
所在地
山梨県甲府市上積翠寺町
アクセス
甲府駅北口からバス15分・積翠寺下車、徒歩15分
オフィシャルサイト

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