戸石城は長野県上田市にある東太郎山に海野氏(真田家の前身)によって築かれた戦国時代の山城です。西側にある神川を上ると千曲川。そして、そのまま上れば甲斐に至る戦略的な要の立地にありました。1541年に甲斐の武田氏と信濃の村上氏、諏訪氏らの連合軍に敗退し海野棟綱、真田幸隆(幸村の祖父)らは上野国に逃れました。その後、戸石城は村上氏の居城となりました。いつからか、米山城、砥石城、本城、桝形城の4城全体を戸石城と指すようになったようです。
1549年、武田信玄は村上氏が上杉と通じたとして、戸石城を攻めますが記録的な大敗退をきします。これがかの有名な戸石崩れです。その後、武田氏配下に入った真田幸隆が1551年に調略により戸石城を攻略し、旧領であった真田郷を与えられました。戸石城付近には真田本城、真田氏館、真田家のお墓がある長谷寺など真田氏ゆかりの場所が沢山あります。
戸石城は上田駅からバスですぐ!
上田駅から真田行きのバスに乗って、伊勢山バス停下車。登山口までは徒歩10分ほどです。
戸石城の登り口には「なめんなよ」って書いていますw。なめた格好で登る人が多いのでしょうね〜。
途中は急な傾斜になっているところがあって握って登れるようにロープが渡してあるところがあります。
その先に急な階段があります。ここからの眺めが最高過ぎて、高所の恐怖にさらされます。砥石城と米山(こめやま)城はロープがあって登りやすく管理されていますが、ここから出るとサポート対象外らしく普通の山城のようになります。結構急な下り坂なので気をつけて降りてくださいね。
砥石城の曲輪
今回はお天気も良くて、良い眺めを楽しめましたよ〜
起死回生の出世城
戸石城の攻略は真田幸隆が武田陣営内で出世するための大きな足がかりになったと考えられます。なんたって、親方様が大失敗した後に、お城を乗っ取りで無血開城なんてかっこ良過ぎるじゃありませんか。真田氏は真田昌幸(幸村の父)の頃には信玄の弟と同じくらいの知行を稼ぐ身分にまで出生しました。武田氏滅亡後は、上田の領主となって徳川軍を二度はね除けています。真田信之(幸村の兄)と袂を違えてからの第二次上田合戦では、戸石城には幸村が布陣、信之が攻略を命じられるも幸村は戦わずに逃走したという逸話が残ります。