1569年に武田信玄が北条領地に攻め込んできた時、武田氏の別動隊小山田信茂隊に三の丸まで攻め込まれてしまいます。落城は免れたものの、滝山城(比高約70m)の防御力が不足していると認識され、より標高の高い深沢山(比高約240m)に八王子城を築城し、移転後滝山城は廃城となりました。
滝山城の遺構は非常によく残っていて、整備も行き届いているので散策も快適です。大手口から少し歩いただけでも、複数の曲輪が通路を攻撃できるようになっています。
大手口から左に入って行くと、小宮曲輪の堀の中を歩くことができますが、ここもかなり掘り込んで作られていて迫力がありますね。現地の看板によると、小宮曲輪は北条氏家臣小宮氏の屋敷があった曲輪と考えられているそうです。
大手道の方に戻り、まっすぐ行くと少し開けた感じになり、大きめの曲輪が多くなり、それぞれの曲輪が違う高さに設置されています。千畳敷曲輪の向かいにある二の丸は高かい位置にあります。
本丸は、かなり深めの堀切で分断されています。現地の看板によると、この深い堀切も当時はもっと深かったそうです。本丸から堀切に下りる階段を見ると、深さがよくわかります。
今は、本丸と中の丸とを繋ぐ復元木橋が架かっていますが当時は曳き橋だったと考えられています。曳き橋は八王子城にもありますね。
滝山城まとめ
滝山城は低い山に築かれて、あまり広い山城ではありませんが、北条氏の縄張りのおかげで、全体を見てまわるには結構な時間がかかります。堀、虎口、馬出しなど、攻め手が前進するごとに死者続出するだろうと言う仕掛けが隅々まで張り巡らせてあり、それだけで疲労困ぱいです^_^
訪問時はまだ草が青々としていたので、次回は冬の滝山城にて、もう少し良く地形を見て見たいと思います。