杉山城は、築城の歴史など謎に包まれている、埼玉県比企にあるコンパクトな山城です。近年の発掘調査で15世紀末から16世紀前半の城であったことが判明しました。当時、この地域でしのぎを削っていた、山内上杉氏が扇谷上杉氏との抗争のために築かれたと推測されています。発掘調査は部分的にしか行われておらず、詳しいことはわかっていませんが、戦のための急ごしらえの支城であったと推定されています。

縄張り図(杉山城に設置されている看板から抜粋)
マップ1:杉山城のアプローチ
杉山城はよく整備されていて、麓の通りにわかりやすい看板が設置されています。ここから、急な坂を登ると、もともと、お城の一部だったと思われる積善寺の脇を通って大手口へ向かいます。ここの坂はより一層きつくなり、杉山城の大手口に到着します。
マップ2:外曲輪から大手口にかけて
まず、待ち受けている曲輪は「外曲輪」で、ちょっとした広場のように開けた場所になります。そこから、段々になっている曲輪を眺めることができます。大手口の右側にある小さな曲輪と堀は、見張り櫓などがあったのかと連想させます。その反対側には深いカギ型の堀があります。大手口から、山の比高差を利用し、曲輪と堀を細かく配置しています。急ごしらえのお城の割に、かなり几帳面に丁寧に造られている土のお城です。
マップ3:杉山城中央部は見どころ満載
土塁と堀がよく残っていて、整備もされている曲輪には見どころがたくさんあります。堀の各所が”W”型になっていて本当に丁寧な作りです。Wになっているのは、攻めてくる敵を横から攻撃できる横矢がかりの機能を持たせたためでしょうか。
本丸に近づくと標高も高くなって眺めもよくなります。もっとも守りが固い本丸の周囲には深い堀が張り巡らされています。
廃城の際に再利用されないよう井戸を大きな石で潰したために、石が置いてあるそうです。近年石を動かして元の井戸の姿に戻そうとしたそうですが、重機がないと動かせないと言われたそうで、そのままになっているそうです。
マップ4:東と北側はちょっと大雑把な印象
北側の曲輪は他の場所と違って若干大雑把になっています。地図の23番に当たる斜面は山の斜面がそのままになっています。工事途中で戦が終了したのでしょうかね?
杉山城まとめ
杉山城は小さいながら、とても丁寧な城づくりがされていて見ごたえのあるお城でした。この杉山城は縄張りの精巧さから、北条の山城だろうと推測されていましたが、部分的な発掘調査の成果により北条氏がこの地を支配していた頃より60年ほど古い1500年前後の山城だと判明しました。当時のこの地で抗争をしていたのは山内上杉氏と扇谷上杉氏でした。1520年ごろに書かれた、古文書「足利高基書状写」(古河公方・足利高基の手紙)に山内上杉憲房という人物の陣所としてと書かれていることから、山内上杉憲房が築城したのではないかという見解もありますが、縄張りの特徴からそれは違うとする見解もあります。これだけの遺構が残っていながら築城主も判明していないわけですから、中世の城郭ファンを魅了してやまないわけです。答えは、今後の発掘調査で明らかになるかもしれませんね。