
井伊谷城からみた三岳城
三岳城は井伊氏の本城にあたる城で、南北朝時代に井伊道政によって築かれたと伝わります。本城を囲み北の支城天山城(あてやまじょう)、東の支城大平城(おいだいらじょう)、西の支城千頭峯城(せんとうがみねじょう)、南の支城鴨江城(かもえじょう)が配置されています。
12代目井伊道政の時代に、井伊氏は南朝に組して北朝勢力と戦いました。1339年北朝の主力大名足利尊氏の配下であった高師泰・仁木義長らは井伊谷を攻撃します。井伊道政は後醍醐天皇の皇子宗良親王とともに三岳城に籠もり善戦しましたが、支城千頭峯城(せんとうがみねじょう)と鴨江城を攻め落とした高師兼の軍勢もこれに合流したため、耐えきれなくなり、井伊道政と宗良親王は東の支城大平城へ逃れて立て籠もりましたがこれも落城してしまいます。井伊氏は没落しますが滅亡は免れます。
戦国時代に入り22代目井伊直盛(井伊直虎の父)は再び今川氏に反旗を翻し、三岳城に籠って戦いましたが、朝比奈泰以を主力とする今川勢の猛攻を受けて落城しました。1513年今川氏が遠江国を支配下におさめ、井伊氏も今川の配下に下ります。

三岳城 縄張り図
三岳城は山頂から尾根に沿って細長く築かれた典型的な中世山城です。本丸は一の城、分岐点から反対側へ行くと二の城、三嶽神社のあるあたりが三の城となります。谷や尾根の斜面を巧みに利用した連郭式山城です。登山道の途中に大きな石が転がっています。西の曲輪に石塁で囲った土塁があります。この石材を切り出して作ったのでしょうか。(残念ながら石垣の写真を撮れていません><)本曲輪からは、遠州でも指折りの眺めが楽しめます。

三岳城山頂からの眺め
三岳城のまとめ

三嶽神社の駐車場