山北駅から河村城まで
小田原城からほど近い河村城跡に行ってきました
JR御殿場線「山北」駅から徒歩15分です、途中の道はかなりいい感じでした。
河村城跡です★
しばらく歩いていくと、入り口の石碑があります。ここから山登りです。
山頂からというか、天守跡から覗き込むと酒匂川(さかわがわ)が見えます。さて、河村城って由緒があるのにあまり知られていないお城跡は、難攻不落の堅牢な城として有名という話なのですが、登ってみても、どういう風に堅牢だったのかいまいちイメージがつかめず・・・いや、岐阜城と比べたらちょろくないか?と思ってしまうわけですよ・・・で、ちょっと調べてみたら苔が生えててつるつるすべって前に進めないとか書いていた~!天然の要害なのですなぁ~岐阜城からもこういう感じで長良川が見えます、もっと山が高いけどねぇ~、築城当時は酒匂川はどういう形で流れていたのだろうーって思ったりしました。
そんな事より、河村さんって誰?と思って調べてみたら、源頼朝関連の人らしいです。山城なので、発掘作業で再現されたらしき畦堀と切り堀。お城の紀元は南北朝時代(戦国時代の前)までさかのぼるらしく、もしかしたらもっと古いかもしれないという由緒のある城郭跡です。現存の建造物はありませんが大規模に整備されてて綺麗な城跡です。小田原城をはじめこのあたりは城が山盛りありまして・・・私はこのあたりの歴史に明るくないので、ちょっと調べてみましたよ!
河村城の歴史
河村城を築いたとされる河村氏は、平安時代末期に山北の地を治めていました。源頼朝の石橋山の合戦の際、河村義秀は平家側に味方したため領地を没収されています。その後、鎌倉での流鏑馬を披露したところ、素晴らしい出来映えであったために、本領河村郷に復帰できたと言われています。その後河村城は上杉氏、大森氏の持城となった時期を経て、豊臣秀吉の小田原攻めの際落城し、廃城になったと考えられています。
関連リンク
リンク:河村城跡(かわむらじょうあと) | 山北町
リンク:河村城 埋もれた古城