関東にもこんなすごい石垣の城があるのか?!金山城の脅威の復元規模に驚け!《日本100名城》

群馬の名城金山城

金山城からの眺め

石垣を関東に持ち込んだのは1590年の小田原征伐時の秀吉と思いきや、それより100年以上も前に金山城(群馬県)はすでに総石垣の山城を構えていたと言います。現在は広大な面積が復元されていて関東中世山城の様子を如実に体験する事ができます。金山城が放つ雰囲気は日本の城ではなく大陸の影響を大きく受けていたのではないかと想像させる独特のものです。山から流れ出る水量が膨大すぎるためか、城の全面に石畳が敷かれ降水量が多い時は通路が水路になるように設計されています。ここまで復元しておいて駅からのアクセスは徒歩60分でバス無しという理解に苦しむ仕様の金山城をご紹介します。

古代関東の新田荘が金山城の起源かな?

新田神社平安時代の頃、群馬県太田市を含む一体を新田氏が支配していました。新田義貞の時代、南北朝時代に突入し新田氏は南朝側の中核となります。戦のさなか新田義貞が金山に築いた新田城が攻め落とされたという記録があるようですが、その城と現在の金山城が同一かは不明とされています。(個人的には同一とい見方で良いと思うけどね、、、城に適した地形なんて時代が変わろうが同じなんだから。)新田氏は南朝敗北とともに没落、北朝側についていた(というか南と北の間をふらふらしてた)新田の親戚筋、岩松家純が時流をうまく生き抜いて金山城を築きました。この頃は戦国時代初頭、群雄割拠の時代です。

史跡金山城跡ガイダンス施設で予習してから登頂すべし!

金山ガイダンス施設

ガイダンス施設でざっと金山城の歴史を予習して、職員の方がおすすめの攻略ルートを教えてくれます。私は「現存の石垣はどこですか?」と聞いてみましたw

金山城は難攻不落の山城、攻略も楽じゃない!

金山城山道

要害となりうる山を選んで造る山城はどれもこれも登るのは結構大変。金山城も例外ではありません。車道が山頂まで通っているので車でスイーッと登っちゃうというのも可能ですが、山城はやはり歩いて登って体感すると「やっぱまじきつい、攻めるの大変」と当時に思いを馳せる事ができるのです。

現存する石垣もばっちり見られる!

本丸現存石垣

復元もいいけれど、現存が見たいですよね。復元と現存のちらリズムが絶妙なお城に行くと「わかってらっしゃる」とうれしくなりますが、ここ金山城もいい感じに現存のちらリズムがそこかしこに散らばっています。

山頂に行くと復元されたエリアが広がりそこは往時の金山城

金山城橋木橋
木橋の手前には分岐する通路があります。敵が攻めて来たときに二手に分けるよう設計されています。

金山城馬場した通路馬場下通路
虎ノ門から流れ込んで来た敵が行き止まりに突き当たるように、生活空間に到達できないように設計されています。

金山城南上段曲輪
井戸跡、かまど跡などの生活空間が発見されています。

謎に満ちた溜め池施設「日ノ池」と「月ノ池」

日ノ池

日ノ池は10世紀頃に作られた水にかかわる祭礼が行われていた聖なる池です。城が作られる500年以上前から存在し、この不思議な池は水が枯れる事が無く年中水が湧いているそうです。ここからは馬の形をした土器が出土しているのですが、詳しい儀式の内容などは伝わっていないので日ノ池と月ノ池が実際にどういった役割を持っていたのかは不明です。でも、見た目もなんか凄そうでしょ!

金山城のまとめ

金山城の石金山城の地層をみると総石垣になったのも納得がいくほど石が採掘し放題だったのがわかります。アクセスは東武伊勢崎線太田駅から徒歩50分と最低ランクですが到達した時の満足度はそんなことも吹き飛ぶくらいです。これほど立派な山城は全国でも珍しいのではないでしょうか。古代日本の歴史とともに金山城を愉しんでみてはいかがでしょうか?

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お城データ

 
群馬県太田市金山町40-98
お城名
新田金山城(にったかなやまじょう)
お城別名
太田金山城、金山城
概要
群馬県太田市の金山に築かれた総石垣・石畳の山城。
主な城主
新田岩松氏、横瀬・由良氏、小田原北条氏
所在地
群馬県太田市金山町40-98
アクセス
東武伊勢崎線 太田駅 徒歩約50分
駐車場
有(無料)
電話
0276-20-7090
オフィシャルサイト

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