京都府北区にある船岡山は高さ112m程の小丘です。京都に都が置かれた際、風水思想に基づいて北の守り「玄武」の山とされました。京の都において、北の測量基準であったこの地の真南に大極殿と朱雀大路が作られました。船岡山が山城となったのは、応仁の乱(1467年)の頃でした。
船岡山城の歴史
船岡山は山名氏らが率いる西軍の砦とされましたが、翌1468年に東軍の浦上則宗の襲撃の受け落城しました。その後、細川氏三人の養子(細川澄之、細川澄元、細川高国)の家督争いに端を発した船岡山合戦(1511年)においても、細川政賢が船岡山に再び陣を張りましたが、細川高国・大内軍に攻められ、政賢が戦死し落城しました。
現在の船岡山城
現在は、船岡山は船岡山公園として整備され、山頂に織田信長を祀る建勲神社があります。船岡山城の大部分の遺構は神社の敷地内で立ち入り禁止エリアにありますが、山の中腹にある横堀は中を歩くことができます。
船岡山城訪問レポート
船岡山公園の入り口は複数ありますが、一番近い入口は船岡山バス停から船岡山数分で到着します。
公園の一番高いところまで登ると、ちょっと眺めがいいところに出ます。しかし山城としては高度が心許ない気がしますね。
公園内を遺構を探してさまよっていると、堀を見つけました。公園中央部にあるトイレのあたりから、長く伸びる横堀を発見。
深さはもっとあったでしょうね~。と思いながら歩いていきます。
横堀を抜けると、整備された公園の通路にたどり着きました。そこには謎の石標が。
城の遺構の大部分は神社の境内の中なので立ち入ることができませんが、柵の外から覗いてみます。
かなり、いい感じに遺構が残っていますね、、、
船岡山城まとめ
船岡山は公園として整備されていて、遺構の場所がわかりにくいですが、結構野放しに残されていて面白いです。山頂の建勲神社からは左大文字の山が見えます。応仁の乱の戦の痕跡に触れることができて、とても感慨深い城訪問となりました。