大友氏遺跡の中心施設である、大友氏館の発掘調査は現在も進行中で、これまでに、庭園跡、主殿と考えられる中心建物の遺構や高級陶磁器が発見されています。大友氏館は14世紀後半(南北朝時代)に整備され、16世紀後半大友宗麟と息子の義鎮(よしむね)の時代に最盛期を迎えています。館の規模は約200m四方に整備され、当時の遺物や遺構の状況から、南蛮貿易により、繁栄した府内の様子が明らかになってきています。
詳しい発掘レポートは大分市のページにあります。
万寿寺は平安時代に創建されましたが、一度衰退し、大友氏5代当主貞親が1306年に再興させました。その規模は東西約250m、南北約360mの巨大な寺院で、室町時代初期には臨済宗の寺格としては五山の次に高位である、十刹に列せられました。
御蔵場は16世紀後半に建設されたとみられる、蔵と広場のある空間です。戦国時代の遺跡にこのような建造物は全国的に他に例が無く、大変珍しい発見だそうです。
唯一表層遺構が見られる上原館へ
上原館の創建年代には諸説あり、15世紀後半~16世紀後半と考えられています。現在は館跡の南東の隅の土塁部分が整備されて石碑と説明版が設置されています。館があった個所は現在住宅地となっています。
土塁の北側の道路です。こちらに館などの建造物が立ち並んでいたということですが、今も道が不自然に曲がっていますね。当時の道がそのまま使われているのでしょうか。
現地にある縄張り図によると、こちらは搦手ですね。今は土塁の西側に道がありますが、当時は斜面まで土塁があったのですね。
大友氏遺跡は、上原館の土塁を見ることができますが、そのほかの遺跡では表層の遺跡は見ることができません。大友氏遺跡体験学習館では、大友氏館や府内の町の様子が復元イラストが展示されていて、解説動画も視聴することができるので、表層遺跡の無い遺跡をイメージするのに役立ちます。
今後の大友氏遺跡
大友氏遺跡は、今後、庭園部分から復元していくそうです。土台の遺構のみで建造物を復元するのは大変そうですが、いつの日か、往時の大友氏館を見ることができるといいですね。
出典
「大友氏遺跡の価値を知る」大分市教育委員会発行のパンフレット
「発見!大分市のまちのルーツは戦国時代にあり!」大分市教育委員会発行のパンフレット
「大友氏館跡の概要」大分市教育委員会発行のパンフレット
「宗麟の戦国都市解明に大きく前進!-万寿寺門前町の全貌がはじめて明らかにー」大分市教育委員会発行のパンフレット