今の志波城跡には「志波城古代公園」が整備されていて、築地塀や、大溝(堀)、外郭南門、政庁の門、官衙建物が復元されていて、当時の様子を見ることができます。外郭をぐるっと囲む築地塀の外側には、土塁をともなう大溝(堀)が巡らされています。山城などで見られるような堀ほど深く無く、深さは1〜2mくらいでしょうか?防御のためというよりは、蝦夷の世界と朝廷の世界の境界線を演出しているような印象を受けます。
大溝を橋が渡してあり、正門と思われる「外郭南門」を入ると竪穴式建物が復元されています。現地の看板によると、このような建物が1200〜2000もあり、「鎮兵(ちんぺい)」と呼ばれる、長期滞在兵の兵舎として、武器や道具を修理する工房として使われていたと考えられているそうです。そして、志波城の中心地に近づいていくと、官衙(かんが)建物が復元されています。ここの内部は資料館となっていて、役人のおじさんの人形がいます。これら官衙建物では兵士への給料管理から、物資運搬の手配、遠征軍の行軍計画など志波城運営のための実務一切が執り行われていました。
政庁は城柵の中心部です。支配下に置いた蝦夷(俘囚)が、朝廷権力に対しご機嫌伺いする事を朝貢(ちょうこう)と言い、朝貢に来た蝦夷に位を与えたり、禄物を与え、支配を盤石なものにする儀式を饗給(きょうごう)と言います。一旦支配下に置いた俘囚でも、過去に何度も暴動を起こして、朝廷側は煮え湯を飲まされていたので、この政庁で行われる儀式は東北の安定的な運営のため非常に重要だったと考えられます。
そして、造営から10年後、雫石川が氾濫し、志波城の北部分が失われてしまいます。この後、城柵機能は志波城から北に位置する徳丹城に移り、志波城は廃絶されます。
そうそう、志波城を楽しむ前に、資料館へ
志波城は復元建造物や、解説看板が充実していますが、やはり資料館にまず立ち寄りたいですよね。私が訪れたこの日、しわまろくんいるかな〜と思って行きましたが
いた!!
テンションあがりました〜
そして、このしわまろくんのプロフィールが衝撃的なのでご紹介しますね。
征夷大将軍 坂上田村麻呂が、蝦夷の権力者アヌシコの娘に生ませた子どもです。しわまろくんが志波城で遊んでいたところ、現代の「志波城古代公園」にタイムスリップしてしまい、それ以来、古代と現代を行き来できるようになった。
いや〜すごい!!
一緒に古代に行ってこの目で見たいものです。
志波城へのアクセス
志波城へのアクセスは整備されていてとても簡単!
盛岡駅から岩手県交通バス「志波城古代公園」行きが出ています。本数も結構あるので安心です。