和歌山市駅から徒歩10分ほどのところに徳川御三家である紀州徳川家の居城であった和歌山城があります。大きな内堀の内側には大きな石垣がそびえ、城主の威光を今に伝えています。内堀の内側にはこんもり盛り上がった山がありその頂上に連結天守閣が城下を見下ろしています。この天守閣は第二次世界大戦時の空襲で焼失したため外観復元された天守閣となります。
石垣が伝える和歌山城の歴史
和歌山城はそもそも豊臣秀吉が紀州を平定した際に築城したのが起源で、中心地点に近いエリアが秀吉の頃の石垣です。豊臣時代の石垣は和歌山城近くの石切り場から採掘された「緑泥片岩」で積まれた野面積みの石垣です。いまだに緑色が残る石ですが、築城当時はもっと鮮やかに緑色で綺麗な石垣だったのだろうと想像できます。時代が下ってお城の面積が拡張されると、友が島などで採掘された「和泉砂岩」を利用した打ち込みはぎの石垣が作られます。
戦火を免れた二つの門
お城の西側にある追廻門(おいまわしもん)(ここを入るとめちゃくちゃ追い回されるのかと不安になります、、、)とお城の南東にある岡口門は空襲での焼失を免れた現存する城門となります。岡口門は築城時は大手門でしたが途中から裏門になります。現在の大手門は岡口門からまっすぐ北上したところにあります。
斜めの傾斜でめちゃくちゃ歩きにくい御橋廊下(おはしろうか)
二の丸と西の丸の間には外に出ないで行き来できるように作られた御橋廊下があります。お城は勾配がありますので、この廊下はツルツルにしておけば滑り台として遊べるのではないかというくらいの傾斜があります。中の廊下は床板が段々になっていて足の裏は痛いし、歩きにくいし、お殿様これでいいんですか?っていう感じです。
一つ目の化石石垣は御橋廊下の向こう側
御橋廊下を渡りきると二の丸があります。ここに7000万年前のコダイアオモの化石がある石垣が野ざらしで飾られています(笑)。この石垣は友が島から採掘された石材だと思われます。ではもう一つのあいつはどこにいるのでしょうか?
砂の丸広場の石垣を探せ!
日中はグラウンドとして利用されている砂の丸広場の石垣にでっかいアンモナイトがいます。夕暮れ時で薄暗い中端っこからアンモナイトを探してみました。40センチ四方くらいの石に綺麗に埋まっているアンモナイトが見つかりました。この他にも化石っぽいものが見える石も結構ありましたよ。
11月下旬からは紅葉が見頃!
和歌山城全体が赤く色づきます。私が訪れたのは11月上旬だったので、木々が赤くなり始めた頃でした。あと2週間ほどで全面的に綺麗な紅葉が楽しめようになるのではないでしょうか。西の丸庭園は別名紅葉渓庭園と呼ばれ、特に紅葉が綺麗で有名です。11月下旬から12月初旬に行かれる方は是非紅葉を楽しんでください。
和歌山城まとめ
和歌山城はよく整備された立派な近代城郭を楽しめます。和歌山というと信長、秀吉を苦しめた雑賀衆と根来衆が有名です。最先端の武装集団で戦っても歯が立たないので、最後秀吉は水攻めで落としていますね。和歌山城からほど近い太田城が日本三大水攻めの舞台となったお城です。反骨精神の強い土地を平定するには、相当の規模感で城郭を築かなければいけなかっただろうと想像できます。領民は虎伏山にそびえる近代城郭をみて秀吉の絶対権力を感じたのでしょうね。