箕輪城といえば、武田信玄の攻撃をたびたび跳ね返した名君長野業正(ながのなりまさ)の城として有名です。業正の死後、長野氏は武田氏に敗北し、箕輪城は、武田氏の支配下となります。武田氏時代、真田信繁の祖父真田幸隆が城代に任じられた期間もあります。武田氏滅亡後は、織田家家臣の滝川一益の支配下になりますが、本能寺の変で信長が横死すると、今度は、北条氏の支配下になります。小田原討伐で北条氏が滅びると、徳川家臣の井伊直政の城となります。現在の箕輪城の遺構は、ほぼ、直政の時代のものと考えられています。
箕輪城歴代城主
- 1500頃-1566年:長野氏時代(業尚、憲業、業正、業盛)
- 1566-1582年:武田氏時代(真田幸隆など)
- 1582年:織田氏時代(滝川一益)
- 1582-1590年:北条氏時代(北条氏邦など)
- 1590-1598年:徳川氏時代(井伊直政)
箕輪城マップPDF A4←箕輪城散策にどうぞ。
1.椿山の砦
城の南東部にあった箕輪城の出城です。物見の櫓がここにあったのでしょうね。そして、箕輪城は、武田勝頼の初陣の場所であり(永禄6年上野箕輪城攻め)、長野氏の家臣藤井豊後を椿山にて打ち取った戦功を挙げたと甲陽軍鑑に記されています。
2.城東側の川
この川が、椿山の砦の東側に流れていて、天然の要害になっている模様。昔はもっと水量あったのかな?じゃないと、守りにならないよね。
3.諏訪神社
4.箕輪城側面
箕輪城東側の道路を歩いていると、箕輪城の側面の段々がよく見えました。この感じ、いいですね〜!
5.箕輪城跡駐車場
箕輪城の駐車場、すっごい広いのが整備されていました。この日、日曜日だったんですけど、ガラガラですやん!
6.新曲輪
丸いですよね〜!(いや、違う違うw)今は丸馬出はわかりにくいですが、丸馬出の外側に三日月堀的なお堀があったみたいなので、武田氏時代のものかな?
7.稲荷山曲輪南堀
8.御前曲輪西堀の石垣
9.御前曲輪から見た堀
本丸周りの堀は幅30〜40メートル、深さ約10メートルの大規模なものです。写真だと深さがわかりにくいですけどね。かなりの部分が埋まっているようで、今見ることができる堀のだいたい2倍の深さだったようです。すごいですね。
10.本丸
ここは、御殿とか建ってたのでしょうかね。結構広いです。
11.箕輪城の石碑
数年前はもうちょっと打ち捨てられた感じで、一升瓶とか捨てられてた記憶があるんですが、今は綺麗に整備されていい感じのお城になっていました。
12.三の丸門の石垣
箕輪城各所に、現存の石垣が残っています。ほとんどすべてが直政の時代のものとみられています。
14.埋門(うずみもん)
非常時、城西側を流れる榛名白川へ避難・逃亡するための隠し通路です。上州で唯一残る埋門の跡だそうですよ!
15.大手門跡の石碑
直政時代の大手門の跡地です。箕輪城は全体的によく残っているお城ですが、残念ながら、この大手門のある南西方面は市街地に取り込まれて遺構が残っていません。
16.西側の大堀切
17.郭馬出の櫓(普請中)
18.椿名沼跡方面を見下ろす
沼の跡地方面です。沼の規模はどの程度だったのでしょうかねぇ。もし、城の南側の要害だったのなら、相当大きかったんでしょうね。
箕輪城の復元CG(「歴史人」公式アカウント)
高崎市のオフィシャルパンフレット
箕輪城の見どころがよく分かるパンフレットです。攻城前に入手をおすすめします。
箕輪城のパンフレット