真田幸村が人質として生活した松代城は築城当時から戦国の英雄がばっこするすごい城だった!

松代城パノラマ

松代城復元図松代城は元は海津城と呼ばれ、武田信玄が信濃侵攻を開始し川中島四郡を攻略するために築いたとされます。武田家の軍事戦略的にには要の立地に山本勘助が縄張りをしたとされていますが諸説あります。海津城は千曲川を背後の守りとして、武田氏の築城の特徴である丸馬出と三日月堀を有します。

川中島の合戦の武田信玄の陣所だった

川中島の合戦川中島の合戦といっても地味に何回もやっています。ほとんどは、にらみ合いのこう着状態だったのですが、第四次川中島の戦いは両者多数の死者を出した大戦となります。この戦には真田幸村の祖父にあたる真田幸隆も参戦しています。海津城は武田軍の陣所となります。ここから出陣して八幡原で上杉軍と激突します。結構遠いですよね、、、

真田幸村が人質として生活した城

松代城太鼓門と太鼓門前橋武田家が滅亡すると、織田信長の支配下に入り信長横死後は上杉景勝の支配下に入ります。真田昌幸(真田幸村の父親)が上杉配下に入った時、次男の幸村を人質に差し出します。当時の海津城将である須田満親(上杉家のNo.2?)の手紙には幸村が海津城に入った事が記されています。

江戸後期の姿に復元された美しい松代城

松代城地図江戸時代に入ると、真田信之(真田幸村の兄)13万石で海津城主になります。途中幕命により松代城と改名され、明治維新まで真田氏の居城となります。現在の松代城は江戸後期の姿を復元整備されています。

松代城太鼓門
太鼓門
松代城東不明門
東不明門
松代城二の丸の土塁と本丸石垣
二の丸の土塁と本丸石垣
松代城本丸内堀と石垣
本丸内堀と石垣
松代城本丸内堀と石垣
本丸内堀と石垣
松代城北不明門
北不明門

松代城の周辺はすてきな城下町

松代駅(廃駅)
松代駅(廃駅)
松代城は都市開発のうねりに巻き込まれる事無く、すてきな雰囲気が漂う城下町です。お城の間近に松代駅(廃駅)が保存され、真田邸、文武学校など真田家ゆかりの施設が保存されています。
詳しくは真田宝物館のサイトへ

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お城データ

 
長野県長野市松代町松代44
お城名
松代城(まつしろじょう)
お城別名
海津城
概要
川中島四郡を制圧する要として武田信玄が築いた平城。元は海津城といった。
主な城主
武田信玄
上杉氏
真田信之
所在地
長野県長野市松代町松代44
アクセス
バス:長野駅から松代行き30分
営業時間
9:00~17:00 (入場16:30まで)
駐車場
大型バス7台・乗用車23台程度 松代城北駐車場(松代城跡北・徒歩5分) 大型バス10台・乗用車60台程度
電話
026−278−2801(真田宝物館)
オフィシャルサイト