小諸駅からほぼ駅直結というアクセスの良さ!小諸城はちらっとでも立ち寄る価値のある素晴らしいお城です。入り口の石垣は復元されたものですが、ダイナミックで闊達な石垣にこのお城の往時の躍動感を感じます。小諸城は武田信玄築城とされ、当時の縄張りのまま豊臣秀吉の時代に城主になった仙石秀久が石垣を構える近代城郭に改修し現在見る事ができる構えになったとされます。
仙石久秀って誰?と思って調べてみたら結構すごい人だった。
美濃(現在の岐阜県南部)出身の土豪仙石家の出身。この頃信長に気に入られ、配下の秀吉の配下に配属されます。秀吉の最古参の家臣として権威を振るいますが、1586年戸次川の戦いで命令違反と敗戦のため領地を召し上げられ、高野山に追放されます。秀吉の小田原攻めの際に旧臣と浪人衆を率いて馳せ参じ陣借り(頼まれてもいないのに勝手に参戦すること)にて大手柄を上げます。徳川家康の取りなしもあり戦功を評価され小諸に5万石の所領を与えられます。秀吉逝去後は、徳川方の東軍につき、秀忠軍の配下となります。秀忠がボロ負けした第二次上田合戦と小諸城
関ヶ原の合戦時、秀忠軍は家康軍と分かれて中山道制圧の命を受け信州の小諸に入ります。真田昌幸に上田城を開城するように迫りますが、昌幸の挑発にのり開戦する事を決意します。陣所を染谷台(豊染英神社とよそめはなぶさじんじゃ)に移しますが真田幸村の奇襲に合い全軍は恐慌状態に陥ります。秀忠は馬で小諸城まで撤退します。秀忠が家康からの手紙にて関ヶ原の合戦に向かうように命令を受けた際、仙石久秀が自身を人質にして本陣に合流するように勧めたとされています。
小諸城の見所は徹底的にその石垣と地形
小諸城は全国でも珍しい城下町よりも低い土地にある穴城で、世にも奇妙なお城です。お城が低いと内部が見えて防御に難ありな気がしますよね、でも城下からは城郭がどこかもわからないという秀逸な設計だったそうです。もともと、小諸城は千曲川の断崖と深い谷を天然の要害として利用し整備されています。仙石久秀は24年間をかけて小諸城を改修していきます。大手門、黒門、二の丸の増築などをてがけています。城下町の開拓、宿場町の整備も秀久の功績とされています。明治時代に城郭を分断する形に信濃本線を通してしまい、城郭が大規模に破壊されてしまいます。ε-(o´_`o)ハァ・・現存する建造物の遺構は三の門、市街地にある大手門と石垣になります。小諸城まとめ
小諸城(懐古園)はあまりにも電車の駅が近いので電車に飛び乗りたくなりますが、市街地に足を伸ばして大手門と旧小諸宿にある小諸本陣(復元)や旧馬場町と足柄町の侍屋敷があった一体まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。