徳川家康のお城として有名な浜松城ですが、その歴史は室町時代まで遡ります。
曳馬城時代の浜松城
浜松城の前身である曳馬城(ひくまじょう)は、室町時代末期ー戦国時代の初めの築城とされています。一時期、井伊直平が城主を務めていた事もありました。室町幕府の権力基盤が揺らぎ始めた頃、今川氏が勢力を遠江に伸ばし始め、当時、曳馬城の城主であった大河内貞綱は戦に敗れます。その後、今川氏の配下であった飯尾氏が3代にわたり曳馬城の城主となります。桶狭間の合戦の後、今川氏が弱体化し当主の飯尾連竜が謀反を疑われ、今川氏に殺害されます。飯尾氏家中では内紛が起こり、これにつけいった徳川家康に攻略されます。曳馬城があった場所は現在元城町東照宮となっています。
徳川家康時代の浜松城
1570年に徳川家康は、武田信玄の侵攻を受けて本拠地を岡崎城から曳馬城へ移します。この時「馬を引く」では縁起が悪いということで、城名、地名とも「浜松」と変更しました。武田信玄が侵攻してきた時、浜松城をスルーして、通過するそぶりを見せたため、城を出て出撃したところ、反撃を受けて死に物狂いで敗走した「三方ヶ原の戦い」の舞台としても有名です。
浜松城の石垣は400年前の現存の石垣
2代目城主であった梶尾吉晴の時代に築かれた石垣は、浜名湖北岸で切り出された珪岩が使用されています。天守曲輪の石垣は斜面の上部だけに石を積んだ「鉢巻石垣」と言うそうです(現地の看板)。
驚愕の復元天守は資料館
浜松城の模擬天守は、天守台のサイズに合っていない驚愕の天守閣です。予算不足?天守閣の中は例に漏れず歴史資料館となっています。小さいながら、充実の展示内容で、地下には井戸も復元されています。
浜松城の石垣は野面積みです。戦国時代の石垣らしく、石も小ぶりで、積み方もかわいいですね。見かけに反して、400年前に作られたにもかかわらず、崩壊したりしないで結構しっかりしています。匠の技だね!
浜松城の周りも歩いてみたい
現地の看板の古地図が、看板によって違っていて、とても分かりにくかったので、マップを作ってみました。浜松城今昔マップ PDF
写真は本多作左衛門重次が住んでいたとされる、作左曲輪ですが、他にも清水曲輪、西端城曲輪があります。作左曲輪と清水曲輪、西端城曲輪の間には結構スペースがあって、現在は公園になっています。ここには何があったのかなぁとか思いましたね。土地がかなり下がっていたから谷とか?堀の外側にあるから、作左曲輪は出城的なものだったのかなぁ?謎の縄張りです。
昔の面影を探しながら町歩きをしてみましょう!お堀の跡は道路になっていたりします。曳馬城だった場所は4つの曲輪に分かれていますが、現在も同じ区画になっていて道路が一段低いところを通っています。
浜松城公園も広くてよく整備されてて綺麗です。ここもお城の一部だったのか外だったのか、どういう用途で使われていたかは謎です。
浜松城まとめ
浜松城はあまり広くありませんが、小さな敷地の中で、かなりの高低差があって、各曲輪のメリハリがしっかりしているお城です。市街地に出ると遺構は破壊されてしまって見ることができませんが、高低差はしっかりのこっているので、かなり楽しめます。時間がある方は周囲の散策もオススメですよ。