大阪冬の陣と夏の陣で大活躍の茶臼山
1614年に勃発した徳川家康が豊臣秀頼に仕掛けた戦「大阪冬の陣」。鉄壁の防御を誇る大阪城を相手に大きな戦が行われました。豊臣方は大阪城に篭城し、ほとんどの兵が外堀の内側に布陣する中、真田信繁の部隊は外堀の外側に真田丸を築いてそこに徳川軍を引きつけました。その戦の時に徳川家康の本陣として利用されたのが茶臼山古墳です。古墳なのでこんもりしていて、見晴らしも良かったのでしょうね。家康の伝記「武徳編年集成」には山頂は狭くて家康と近臣しかいる場所が無かったと書かれていますが。
東側にはお風呂、北側の麓には台所、東側の麓には20畳の部下の部屋、西側の麓には茶室、南の麓には納戸があったそうですが、、、こんな感じでしょうかー??お風呂場がどこの東側なのかちょっと分からないので、寝所の隣に置いてみました。これ、戦終わったら壊して去るんですよね??もったいない。
大阪夏の陣では真田信繁(幸村)の陣所
大阪冬の陣では真田信繁は真田丸を構築して徳川勢を打ちのめしましたが、停戦の時の条件で真田丸と外堀は破壊されてしまいます。というわけで、翌年の大阪夏の陣では信繁はここ茶臼山に陣をはります。家康の時にはお風呂とか台所とかあったけれども、それは破壊してから撤収するものでしょうから、信繁はその恩恵は受けていなかったでしょうねー。ここから、家康の本陣に決死の切り込みをしてマジやばいところまで家康を追い込みますが無念の失敗に終わります。疲れ果てた信繁はここから目と鼻の先にある神社で打ち取られます。敷地内にはこんな看板もありました。
茶臼山の位置関係がわからないから図を作ったよ
真田信繁(幸村)終焉の安居神社
グーグル先生に聞くとなぜか裏の方から連れて行かれそうになりますが、茶臼山から素直に大通りを左にずっと行くとすぐにこの入り口が見えます。自分を信じて突き進んでください。
小さな神社ですが立派なお堂があります。ここも400年前の地図に登場する古い神社です。
お堂に向かって右側に真田信繁の銅像があります。近くにある看板には
”真田幸村陣歿の旧跡 元和元年大阪夏の陣に徳川家康は秀忠と共に大軍を率いて大阪城を攻めた。ここに於いて大阪の兵は城の既に恃むべからず(大阪城はたよりにならない事)を知って出て戦い、五月六日幸村は後藤基次(又兵衛)、薄田兼相(すすきだかねすけ)等と大和口を防がんとして河内の片山道明寺(東へ16キロ程のところ)に赴き、基次等が敗死したので殿軍となって伊達政宗と戦い、翌七日は天王寺付近に松平忠直の軍を迎え奮戦したが、ついに当社境内一本松の下で戦死した。時に年齢四十九歳であった。当時の松は既に枯死したが、社殿復興を機に昭和二十六年四月二十四日これを記念して植樹された。例年五月に幸村祭が盛大に行われる。”
ここに書かれているのは、大阪の陣でもっとも壮絶な「道明寺の戦い」ですね。大河ドラマ「真田丸」のクライマックスの場面になるはずです。茶臼山と安居神社は大阪市営地下鉄・JR「天王寺駅」近鉄「大阪阿部野橋駅」などが便利です。後藤基次(又兵衛)が奮戦した小松山は近鉄「河内国分駅」から徒歩10分の「大坂夏之陣小松山古戦場跡」と遅参した部隊が徳川軍とぶつかった場所は近鉄道明寺線「道明寺」付近です。