水彩画とともにお送りするお城のレポートサイト

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関ヶ原後の勢力図 領地
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NHK大河「真田丸ー第38話 昌幸」蟄居先の九度山で余生を楽しめばいいのに、気落ちしてウツっぽかった昌幸

関ヶ原の前と後では大きく変わった日本の勢力図 図の青いところが徳川系列の所領になります。関ヶ原後にかなり領土を広げましたね。 38話では関ヶ原の合戦から約10年後の1611年まで、一気に時間が進みます。この間、家康は征夷大将軍となり、その2年後、自身は将軍職を辞任し嫡男の秀忠を将軍とします。秀忠は江戸城で、家康は大御所として駿府城で二元政治体制を敷きます。天下統一に王手をかけた家康ですが、後の世の火種になりかねない秀頼をどう潰すか腐心し、あの手この手で豊臣家に揺さぶりをかけていきます。大きな騒乱 […]

お城あれこれ  
阿弖流為

桓武天皇を本気にさせた?蝦夷のリーダー阿弖流為(あてるい)がゲリラ戦で国家権力を翻弄し戦い続けた!(古代東北 城柵その2)

三十八年戦争の討伐中心地は蝦夷の本拠地であった胆沢(いさわ)地方 774-811年までの朝廷と蝦夷との戦は「三十八年戦争」と呼ばれます。初期の頃、蝦夷の反乱は単発的に起こっては征討軍により収束するという状況にありました、この頃から胆沢地方が蝦夷の本拠地と認識されるようになります。781年の桓武天皇の即位後、蝦夷の地域の支配をより一層強めるために、数多くの城柵が建設されていきます。桓武天皇は現状維持ではなく、征夷に積極的で、北へ支配地域を広げるため征夷軍を胆沢の地に派遣します。 阿弖流為に大敗北を […]

田村麻呂

かめばかむ程味が出るスルメのような味わいの東北城柵。坂上田村麻呂がブラピのルックスだったら城柵に興味もてそう?(古代東北 城柵その1)

東北城柵(とうほくじょうさく)と言われても、聞いた事無いし興味も持てないと思われてしまうかもしれませんが、これがまためちゃくちゃ面白い歴史てんこもりなのです。しかしながら、この面白さが伝わりにくいのが難点なんです。どうしたものかと考えていたら、古代東北時代の英雄坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の容姿に言及した記述が「田邑麻呂伝記」「日本後記」にあり、それをまとめてみるとこんな感じになりました。 「目は鷹のようで、顔は赤く、ひげは金髪。身長は176センチ(五尺八寸)、胸の厚さ37センチ(一尺 […]

松本城 天守閣

「日本100名城」を訪れてみよう!!

日本100名城は、城跡の歴史的重要性を踏まえて選定された日本の名城100選です。どのお城もそれぞれ、整備状態が良いお城になっていますよ!これを機に、100名城スタンプを集めてみても良いかもしれませんね。 北海道・東北 五稜郭ー徳川幕府が北辺防備のため築いた西洋式城郭。箱館戦争で旧幕府軍に占領され、その本拠となった。 根室半島チャシ跡群ー北海道16世紀〜18世紀にかけて造営された遺跡。 松前城ー北辺防備のため貧弱な福山館を改築。日本最後の和式城郭。 弘前城現存天守ー津軽藩二代藩主津軽信牧(のぶひら […]

花と城

日本さくら名所100選に名を連ねる名城27選

日本さくら名所100選に名を連ねる名城27選 公益財団法人日本さくらの会が選定する「日本さくら名所100選」の中には27箇所ものお城が選ばれています。思いのほか沢山のお城が桜名所に選ばれていますね! 北海道 松前さくらまつり「桜三部作」 松前城 松前公園(松前町) 東北地方 弘前さくらまつり 弘前城 弘前公園(青森県弘前市) 船岡城址公園/しばた桜まつり 船岡城 船岡城址公園・白石川堤(宮城県大河原町・柴田町) あきた千秋公園桜まつり 久保田城 千秋公園(秋田県秋田市) 鶴岡桜まつり 鶴ヶ岡城 […]

大阪城紅葉

今注目されているお城がわかる?検索数で見るお城ランキングトップ20

トリップアドバイザーさんの「行ってよかった!日本の城 ランキング 2015」で熊本城が3年連続1位になったと話題になりましたが、インターネットで検索されているお城ランキングはまた違うんですよね。グーグルのキーワードプランナーで調べた2015年1年間に最も検索されたお城のランキングを掲載します! 姫路城 (検索数 201,000/月) 姫路城がダントツのトップでした。白くなってリニューアルした事が一因でしょうか?修繕工事が終わり、天守閣もまた見学できるようになりましたね。 大阪城 (検索数 90, […]

九度山真田庵(現善名称院)本堂

真田信繁(幸村)が14年幽閉されていた九度山は真田愛に満ちた町だった。

和歌山県九度山は、今もいい感じの田舎町ですが電車のアクセスは結構良くて、大阪の難波から1時間で行けます。ここ、九度山は今までほとんど知名度も無かったかと思われますが、今年の大河ドラマ「真田丸」で一気に有名になりました。真田昌幸(信繁の父)と信繁が関ヶ原の戦いで破れて、徳川方に蟄居を命じられて幽閉されていた土地です。駅も真田一色、真田丸への期待があふれていますね〜! 九度山ってどこ? 九度山は真田昌幸、信繁の故郷信濃からは約450キロ遠く離れた土地です。二人は、1600年に高野山に流されましたが、 […]

お城に行ってみた  
名護屋城模型

史上空前の前線基地 名護屋城 明の使節もびっくりの本格的な超豪華城だった

秀吉が天下統一を果たした後、次に手を伸ばしたのが大陸でした。朝鮮半島への前線基地として築城した超巨大なお城だった名護屋城。縄張り(設計)は黒田官兵衛で、普請は九州大名に担当させ、超高速の1年弱で完成させます。 絢爛豪華な名護屋城の周りには、全国の大名たちの陣が作られました。周囲には城下町が現れ、最高10万人の人が住まう巨大都市になりました。秀吉の死とともに朝鮮出兵は中止され、それとともに廃城になったと考えられています。 名護屋城半径3キロ圏内に密集していた118ヶ所の陣跡 名護屋城周辺には無数の […]

忍城

忍城の周りは沼地で足を取られて攻めにくい、攻め手泣かせの守りの城

忍城(おしじょう)は室町時代に沼田氏によって築城されたと伝わります。利根川と荒川の扇状地にあり、水堀と沼地を駆使した天然の要害に守られた難攻不落のお城です。現在は、本丸跡に御三階櫓が再建され、水堀と沼地の一部が水城公園になっています。 忍城は攻撃されても、なんだかんだで落城していない 扇谷上杉氏に攻められる 文明10年(1478年)頃、成田正等らが土地の支配者であった忍一族を滅ぼし、忍城を築城します。忍一族は扇谷上杉家に従属していたので、忍城に扇谷上杉が攻め込みますが、太田道灌の仲裁で和解します […]

弘前城 外堀と満開の桜

弘前さくら祭り、満開の桜が咲き誇る弘前城を見に行ったよ!

弘前城の桜はゴールデンウィークに満開 ゴールデンウィークは全国的に桜は散ってしまっていますが、青森の弘前城では例年、この時期に桜が満開になるそうです。夜には外堀など桜がライトアップされ幻想的な桜の弘前城が楽しめる事請け合いです。私も、2016年ゴールデンウィークに開催された弘前さくらまつりに行ってみましたよ! 満開の桜楽しみーーって思ってバスを降りてみると。 散ってる、、、 なんでやねーーーん!! そう、今年桜はゴールデンウィーク前半ですぐに散ってしまったのです、、、雨が降って短命の桜だったそう […]

松本城 天守閣

なんでそんなに低いのか?武田の縄張りに聳える五層の天守がアンバランスで美しい松本城《日本100名城》

松本城は、連日観光客でにぎわう人気の観光地ですが、その要因としては、その写真映りの良さと、駅から坂道を登らずフラットに行けるアクセスの良さではないでしょうか。普通、お城というのは、防御の観点からアクセスが悪くて見て回るには「しんどい」わけですが、どういうわけか、松本城はとっても「楽」なんです。これは他のお城には無い特徴だと感じます。 楽な理由は武田の城だから? 松本平の中心部にある松本城は元は深志城と呼ばれ、古くから信濃の有力者であった小笠原氏の一族が支城として1504年頃に築城したのが始まりと […]

上田城紅葉

外堀から巡る上田城は遥かに深くてもの凄く楽しかった

上田城は1583年に真田昌幸が築城したとされていますが、資金だけでなく物資や人材を、当時同盟関係にあった徳川家康に出させています。上杉方の城、虚空蔵山城(こくぞうさんじょう)がすぐそこに迫る場所である、千曲川の分流「尼が淵(あまがふち)」の河岸段丘に建設し、上杉の信濃侵攻の抑えとしての拠点としようとしていました。ところが、徳川は北条と同盟関係を結び、その条件として真田家の沼田領地を譲る約束を勝手にしてしまいます。これに反発した昌幸が徳川との同盟を反故にし、上杉と同盟を結び次男の信繁(幸村)を人質 […]

茶臼山石碑

戦を高台で眺めながらお風呂?!徳川家康と真田信繁(幸村)が陣所として使った大阪の茶臼山陣所跡は小さな古墳だった。

大阪冬の陣と夏の陣で大活躍の茶臼山 1614年に勃発した徳川家康が豊臣秀頼に仕掛けた戦「大阪冬の陣」。鉄壁の防御を誇る大阪城を相手に大きな戦が行われました。豊臣方は大阪城に篭城し、ほとんどの兵が外堀の内側に布陣する中、真田信繁の部隊は外堀の外側に真田丸を築いてそこに徳川軍を引きつけました。その戦の時に徳川家康の本陣として利用されたのが茶臼山古墳です。古墳なのでこんもりしていて、見晴らしも良かったのでしょうね。家康の伝記「武徳編年集成」には山頂は狭くて家康と近臣しかいる場所が無かったと書かれていま […]

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NHK大河ドラマ予習記事  
関ヶ原後の勢力図 領地

NHK大河「真田丸ー第38話 昌幸」蟄居先の九度山で余生を楽しめばいいのに、気落ちしてウツっぽかった昌幸

関ヶ原の前と後では大きく変わった日本の勢力図 図の青いところが徳川系列の所領になります。関ヶ原後にかなり領土を広げましたね。 38話では関ヶ原の合戦から約10年後の1611年まで、一気に時間が進みます。この間、家康は征夷大将軍となり、その2年後、自身は将軍職を辞任し嫡男の秀忠を将軍とします。秀忠は江戸城で、家康は大御所として駿府城で二元政治体制を敷きます。天下統一に王手をかけた家康ですが、後の世の火種になりかねない秀頼をどう潰すか腐心し、あの手この手で豊臣家に揺さぶりをかけていきます。大きな騒乱 […]

真田丸 関ヶ原行軍ルート

NHK大河「真田丸ー第37話 信之」父と弟を命がけで救済する信幸が改名し信之へ

前回の真田丸では関ヶ原が50秒で終わってしまいましたが、ここで、家康の動きを簡単に触れておきましょう。 関ヶ原の戦いでの家康の動き 会津(上杉景勝)討伐のため、家康は会津へ向けて6月16日に大坂城を出発します。7月2日には江戸城に入り、まず、19日に嫡男の秀忠を総大将として会津へ差し向けます。そして21日に江戸城を家康が出陣しますが、24日、下野小山にて石田三成の挙兵を知ります。家康は、会津討伐に従軍していた大名を招集、軍議を開きます(小山評定)。ほぼ全ての大名は家康に従う意向を示した一方で、真 […]

第二次上田合戦

NHK大河「真田丸ー第36話 勝負」第二次上田合戦 父親と同じ目に遭わされた秀忠

1600年7月24日、会津への進軍途中で石田三成の挙兵を知った家康は、三成を迎撃する事にします。自らは江戸城に引き返し、秀忠に約38,000の軍勢を付けて、真田の討伐後中山道を通って美濃への進軍を命じます。 秀忠軍 約38,000 昌幸軍 約2,500 9月2日、秀忠は小諸に到着します。真田昌幸は信幸を通して降伏する意向を伝えてきたので、秀忠は開城を待っていましたが、4日になり昌幸は態度を変え秀忠に対して挑発的な態度をとったため戦闘状態に入ります。 9月5日、秀忠は、信幸に信繁の守る戸石城の攻撃 […]

細川邸の井戸 越中井

NHK大河「真田丸ー第35話 犬伏 」今回で、仲睦まじい親子の姿は見納め。

前回34話では、徳川家康が「直江状」に激怒し、会津討伐を決意しそうなところで、ドラマが終わりました。前田玄以や長束正家が会津討伐の中止を嘆願しますが、家康は聞き入れず、徳川軍は江戸に入り戦支度を始めます。京都から家康がいなくなったその隙に三成が五大老の一人であった毛利輝元を総大将に据え挙兵します。それをまだ知らない徳川家康は、江戸城から会津へ出陣しますが、急使により三成らの挙兵を知ることとなります。家康は、会津討伐を中止し、上杉景勝に対しては結城秀康(家康の息子)の軍勢を抑えとして残し西へ軍隊を […]

大坂城西の丸天守閣

NHK大河「真田丸ー第34話 挙兵 」挙兵からの挙兵からの挙兵で関ヶ原へ!

33話では、石田三成が家康を襲撃しようとしますが断念しました。この後、各大名のバランスを保っていた前田利家が死去し(32話の記事)、ついに秀吉恩顧の大名加藤清正、福島正則、黒田長政、藤堂高虎、細川忠興、浅野幸長、蜂須賀家政ら七将が三成を襲撃する動きを見せます。 石田三成邸襲撃 石田三成は、豊臣秀頼に仕える桑島治右衛門の通報により襲撃を事前に察知し、佐竹義宣の屋敷に逃げ込みます。七将が、大坂中の屋敷を捜索し、佐竹屋敷も見つかりそうになったので、屋敷を脱出し、伏見城に立て篭ります。伏見城も武断派に取 […]

真田丸 徳川 前田 石田

NHK大河「真田丸ー第33話 動乱 」徳川家康が批判されていたはずなのに、なぜか石田三成が敵視されていた。政治って怖い。

徳川家康と前田利家の両頭で豊臣政権を支えるという秀吉の構想はもろくも崩れ去ります。秀吉の死後、徳川家康は、大名同士が勝手に婚姻を交わすことを秀吉に禁止されていたにもかかわらず、伊達政宗の長女と家康の六男、福島政則の養子と家康の養女、蜂須賀家政の嫡男と家康の養女・万姫の縁組を進めていきます。これに怒った前田利家は徳川家康の五大老除名を訴え対立し、諸大名が前田・徳川両家に集結する騒ぎとなりました。利家側には上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家の三大老と細川忠興、浅野幸長、加藤清正、加藤嘉明それに五奉行の石 […]

お城・遺跡現地説明会